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Day8. 21世紀何者戦争

古来より、人は「何者」かになりたがる。

カエサルも、
織田信長も、
ナポレオンも、
わたしの知らない誰かも、
みんな歴史に名を遺そうと戦った。

でも、それを達成したのは優れた家柄や、並外れた強さ・賢さなど、
一握りの特別な才能や強運を持つ者に限られていたんじゃなかろうか。

21世紀に突入した今、
私たちの戦場はバーチャルな空間へと進化して、
SNSというフィールドでみんな「何者」かになろうと必死だ。
しかも、その競争は年々激化しているように感じる。

なぜなら、その挑戦権が特別な人だけでなく、全員に与えられたからだ。

だから、みんな
私はこれができるよ、こんな経験をしたよ、
など必死に魅力をアピールし、
たまには過激な発言で陽動したり、
様々な方法で自分のフォロワー獲得合戦に身を投じている。

仕事で、SNSのインフルエンサーをリサーチをしたのだが、
そういう時、私はどうにも息が詰まる。

いや、もちろんいい時代だと思う。
誰にでも、どこにでも、いつでも、
アメリカンドリーム、ゴールドラッシュのチャンスが広がっている。
し、お金的な意味でなくても、個人の発言力が大きくなったことで
不当な・偽りのものに対し、戦う力が増大した。

一方で、SNSの何者戦争の勝敗は、
「世間的にすごいか」の客観的指標なので、
フォロワー数という数字を必死にかき集めるのに必死で。
そのために、
どれだけ外から見て自分の陣地が魅力的にに見えるかに執着し、
自分より大きい陣営を見ては「これじゃまだまだ」って
終わりのない戦いにあくせくしている。
(なので満たされることも、スパッと終戦を迎えることもないように思われる)

情報が入り乱れ、ものすごい速さでTLが更新される時代で、
自分という存在が忘れられないように、みんな必死の形相で戦っている。

だから、主観的な自分、というものを本当の意味で
大切にできている人はどれだけいるのだろう、と思うのだ。

今まで、あなたが必死に獲得してきた
スペックという名の#ハッシュタグが、フォロワーたちが、
価値を失ってしまったり、消えてしまったりしたときに、
それでもちゃんと地面に立っていられる人はどれだけいるのだろうか?

よく、「自己肯定感」というワードが使われるけど、
私は、何もかも失っても地面に立つための自分への赦し、信念
みたいなものだと思っている。

これが、何者戦争の戦士たちの内面にどれだけあるのかな、って。
そんなことをSNSのリサーチしてると危惧するのであります。

ん~~~なんか自分でもよく分からなくなってきたけど、
めっちゃ綺麗で美味しそうなりんごが、そこら中にごろごろ転がってて、
それぞれ「無農薬」とか「最新の品種改良!」とかアピールシール貼ってあるんだけど、
「じゃあこの中で、中身ぎっしり密たっぷりを、
自信を持って謳い文句にしてるりんごってどれだけある??」
って思うと案外なかったりしてしんどくなるみたいな、、、そんな感じっす。
(自分で言っててわかりづらぇ〜〜)

「何者かになろう」でなく、
生まれた時から全員何者であることに
もっと光があたればいいのにな、

8日目、おわり。

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