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【大注目ヘルステックベンチャー】エクスメディオ創業の経緯

当記事に足を運んでいただき、ありがとうございます。

どうも、「エクスメディオの中の人」こと、製薬会社からヘルステック企業に飛び込んだ若手社員でございます。

現在は、株式会社エクスメディオのビジネスチームに所属しております。

一人でも多くの人にエクスメディオとは、医療×AIで「最も熱い(※内に秘める想いがね)会社」だということを知っていただくべく、このnoteを立ち上げました。

また、noteを通じて一緒に協業できる会社様や応援していただける方が増えれば嬉しいなと思っています。

簡単に言うと、本記事で

「エクスメディオというヘルステックベンチャーの会社の熱い想いを知ってくれ!」

ということですね。(空回りしないように気をつけます)

記念すべき1記事目は、エクスメディオ創業のきっかけをお伝えします。

が、その前に・・・

「いやいやまずお前の会社は何をやってる会社やねん!!!」

「熱い想いとかいらんから、あんたの会社が何をサービスにして、エクスメディオはうちの会社の課題をどう解決してくれる会社なんだ!」

という点が気になる方もいらっしゃると思いますので、エクスメディオが今「どんなサービスを持っているか」を先にお話しします。

簡単にいうと、エクスメディオは

「ヒポクラ×マイナビという超臨床ファーストな医師向けサービスを通じて、製薬会社様の医薬品のマーケティング支援を試みている」

ヘルステックベンチャーです。

(サービス記事リンク)

それでは、今回の本題に移ります…(冒頭から長くてすみません)

この物語は、二人の熱い男がアメリカで出会ったことから始まります。

本日は、そのうちの一人、現社長の今泉についてお話しさせていただきます。


ーー
【研究が好きだった】

東京都の江東区に生まれ育った今泉は、子どもの頃から仲間意識が強く、とにかく自由な子で両親を振り回してきました。

趣味は麻雀とバンド。

当時は高校生であったのにも関わらず、好きなことには時間を忘れてしまうくらい没頭するタイプだったので、麻雀とバンドでご飯を食べていこうと思っていたほどでした。

麻雀では高校生大会に参加してちゃっかり優勝するくらいの実力者でしたが、さすがに麻雀だけでは食っていけない感じていたので大学へ進学。

慶応大学SFC(湘南キャンパス)にて、村井先生(インターネット技術を日本に引っ張ってきた人)のゼミに入り、

村井先生の影響もあって、インターネット領域を研究することに。

中でも、インターネット領域の光通信の研究が非常に面白く、麻雀の次に変わる自分の没頭できるものでした。

しかも世の中にいずれIT革命の時代が来るという予測もあり、研究に没頭する生活を送っていました。

今では医療ITの分野で研究を続けていますが、当時は医療とは全く別の分野で働いていたのです。

大学を卒業した後は楽天技術研究所に入って研究を続けることにしました。

しかし、楽天技術研究所では正直自分のやりたいような研究ができずに悩む日々。

研究職で入ったのにも関わらず、研究者が開発をやったり、研究職なのにコンサル業をやっていたりと、自分がやりたいような仕事ではありませんでした。

研究に没頭できなかったこと、「もっとユーザーとの距離感が近いサービスを作りたい」と思いはじめ、当時の縁もあって、シリコンバレーで自動車の自動運転の仕事をすることになりました。

国外での仕事に興味を持っていたこともあり、新たに環境を変えて、研究をするという日々が始まろうとしていました。

【突然の宣告】

そんな今泉に、思わぬ事態。

未来を見ていたはずなのに、死と直面することになるとは、いったい誰が想像したでしょうか。

違和感を覚えたのは、タール便。見たこともないような黒い便に、驚きました。

すぐに病院に行き、検査をしてもらいました。

「まさかね、そんな大きな病気なはずがない。」

数か月後にはシリコンバレーにいくことが決まっていた矢先の出来事でした。

しかし、その予想をはるかに超え、医師から伝えられた病名は、「胃がん」。

早期ステージは終了しているほど進行していたのでした。

「転移の可能性もあるかもしれません」

胃がん?俺が?
先生が嘘ついているんじゃないか?
やっと、やっとシリコンバレーに行けることになったのに。
やっと、やりたい仕事ができるとおもったのに…
残された家族はどうするんだ?

現実を受け入れるまでにかなりの時間を要しました。

翌日は検査のために病院にいく予定でしたが、起床時刻の1時間前まで眠ることができませんでした。

「手術しましょう」

総医者に言われ、悩んだ末に手術を決意。

結果的に、胃の3/4を切除することになりました。

この経験がエクスメディオ創業のきっかけとなる、まさに不幸中の幸いの出来事だったのです。


ーー
この今泉の経験により、現在のエクスメディオの医療×AIに対する熱い想いにつながっています。

それでは次の記事では、死に直面した今泉が協働創業者「物部」というこれまた熱い男に出会うお話しをお届けさせていただきます。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
次回もどうぞお立ち寄りくださいね。

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