見出し画像

普通に言ってくれれば聞くんだけどなぁ。

僕は今、何を書けばいいかなぁとこんな時間に悩んでいる。

何から書けばいいか、ではない。経験談を書きたいわけではない。

テーマとしては障害者の方について書こうと思っている。

それだけに何を書いていいのか、健常者の僕は書きあぐねているのだ。

僕が書きたいのは、ある「違和感」についてである。

僕は声高に主張する人が苦手だ。

ネットで目にする人への「違和感」は、声高だから余計に気になるのかもしれない。

健常者が障害者に何かを言えば、弱者への配慮が足りないと言われかねない。障害を持った事もないくせに何を言うのかと非難される風潮もある。

でも、僕は僕の持つ「違和感」について書こうと思う。

障害者に同情しないで欲しいと、障害者の人が言うのは自由だ。

一方で、健常者の僕が障害者の方に同情するのもまた自由だと思う。

僕は人の意見を全否定することは極力避けたい性分だ。

どんな意見にも、たとえ合わないと思う人にも、何かの気づきはある。もしどうしても合わなければ、相手を傷つけない程度にそっと離れればいいと思う。

僕は、障害者に同情しないで欲しいという意見を持つ人から見れば古い価値観に縛られた人間だと思う。

障害者が弱者であると僕が思うのは、僕が強者だという意味合いでは決してない。

全然レベルが違うのは承知で書くけれど、僕は腰痛持ちである。それなりに年齢も重ねてきたので、若い時のような健全さは徐々に損なわれてきている。

ちょっとした動作や荷物を持つのにも、気軽にとは行かなくなってきた。

でも、目の前で女性が荷物を運んでいたら生理的に嫌なのだ。たとえそれが霊長類最強女子のような、明らかに僕よりも力持ちの女性であろうとも、それが知り合いの女性なら、腰が痛いのを我慢して力仕事をするのが男の務めだと思っている。

見知らぬ老人や子どもが重い荷物を運んでいたら、やっぱり声をかけずにはいられないだろう。別に偽善者と言われてもいい。そうするのが当然だという教育を受けて来たのだから、これから先も変わる事はない。

それと同じ気持ちで目の前に障害を抱えた人がいたら、いたわろうと思う。

それは弱者に対して、という気持ちからでは決してない。もっと反射的な行為だ。

時々、そういう行為に冷たい態度や言葉を返される事もある。

そんな時、僕は普通に言ってくれればいいのになと思う。感謝されたいわけではないけれど、ありがとうの言葉一つも無いと人としてどうなんだろうと思ってしまう。

相手が同情されたくないかどうかなんて外からは分からない。でもそういう人に限って自己中心的な感じがする。

たとえば、僕も何かの病気にかかったり、疲れている時もある。人の優しさにさえ応えづらい時もある。そっとしておいて欲しいと気づかれないように振る舞う時もある。

そんな時に、自分に優しくしてくれる人に同情されたくないとは考えないし、冷たい態度は取らない。

腰痛や一時的な病気と障害を一緒にするなと言われればそれまでだ。

ただ、同じ人間として相手に対して、障害があるから声高に主張するという人を好きになれないと言いたいのだ。

障害があってもなくても、人として断り方や主張の仕方があるだろうと。

しかし、声高に主張する人は反論されるはずが無いという強者の立場を押し付けているような気がしてならない。私たちをあなた達の価値観で弱者にしないでくれ、と。それが僕の中で「違和感」として残る。

重い荷物があったら代わりに運ぶか手伝うのが僕の価値観だ。ただそれだけの行為に要らぬ同情するなとか迷惑だと声高に言われると何だか悲しい気持ちになる。弱者に仕立てあげたいわけではない。

あるいは、配慮が足りないね、みたいな事を言われると、他の言い方は無いものかと思う。

今のところ、健常者である僕は障害者の方の気持ちは正直言って分からない。でも、同じ障害を持つ人でもいろんな思いがあるだろうし、全く同じ環境で育っている人などいない。

僕は社会的に見れば弱者である。同じ年齢の平均値から見れば年収も低いし、独身だし、悩みも人並み以上にある。という事は僕も誰かに同情されているのだろう。それを同情と取るかどうかは僕の考え方しだいだけど。

誰もがうらやむような人にも悩みはある。家庭を持つ人には家庭の悩みがある。偉い人が大した金額でもないのに悪事に手を染めて一生を棒に振る。

noteを読んでいるとたくさんの価値観に触れる。そして誰しも悩みがあり、弱い部分を持って生きている。noteを始めてたった2ヶ月ほどの間で僕の障害者の方に対する考えは少しづつ変わり始めている。

でも、僕は全く見知らぬ人にはやっぱり今までの価値観で接しようとするだろう。そして、その人がごく普通の口調で僕に対してそういう扱いはやめて欲しいと言ってくれたら、僕は人間同士としてそれを理解し、その人が素敵な人柄だったら友達になろうと距離を縮めるだろう。

健常者同士でも、誰かを見下したり、執拗に汚い言葉でけしかけようとする人は、どんなに立派な意見でも僕は好きにはなれない。そういう人を勝ち組と呼ぶなら、僕は負け組と呼ばれても一向に気にしない。

今まで人に大きな迷惑をかけずに何とか生きてきたのだから、それだけでも十分に幸せだったのだと思う。今そう思えるなら、毎日をそれなりに楽しく生きて、こうして誰かに向けて文章が書ける人生を積み重ねていきたい。



スキはログインしていなくても押せます!ワンちゃんでも押せるほど簡単です。励みになりますので、ここまで読んでくれた記念に押して下さい。いくつになっても勉強は楽しいものですね。サポート頂いたお金は本に使いますが、読んでもらっただけでも十分です。ありがとうございました。