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渋沢栄一さんの道徳経済合一説

企業に道徳を求められる時代になりました。

元々、創設者にはそれなりの理念に基づいて社会貢献の意志があったと思いますが、組織が大きくなり、権力が集中すると個人の人権が蔑ろにされやすく、いつしか諫言にさえ耳を貸さなくなるようです。

僕は最近はすっかり中国の古典に傾倒しているのですが、国が滅ぶ時は民への愛が欠けた時です。

企業で言えば、共に働く人々のことを考えず、周りに感謝しないがゆえに社会にも貢献しない。私利私欲に走り、企業理念さえも悪い方へ解釈しスタッフに強要する。

渋沢栄一さんは日本に資本主義を持ち込んだ方として有名ですが、その根底には幼少期から学んだ『論語』がありました。

『論語』は要するに道徳です。人格者とはどうあるべきか。経済を論語の思想を用いて活用したのが『論語と算盤』という考え方です。

講談社学術文庫『青淵論叢』の談話集では、道徳経済合一説として次のように語っておられます。

富を正しく維持させるにはいかなる道理によってなすべきかと言うと、私は富というものは道徳と一致するということでなければ正しい富とは言えず、真正なる富とは言えないと断言して憚りません。

私などは微々たるものでありますが、三井とか岩崎とかをはじめとして富豪はたくさんいるし、大きな事業を営む人もたくさんいますが、この国家を維持するにはどうしても道理正しい人でなければ、本当の正しい国家を維持することはできないと思うのです。

真正の道理によって富を維持し、それによって極く堅実な国家となるようにしなければなりません。

忌憚なく申すと、一人が大なる金を併せ集めるということは、あるいは弊害の本になるかもしれないと思います。

なぜかと言うと、その集めた財産がどうなるかを考えてみるとよいでしょう。

集める人はそれ相当の能力があるから集めるわけでありますが、多くはそれが無用なことに使われがちです。

したがって財産そのものから言うならば、そのような人にわがままな使い方、無用な使い方をされることははなはだ迷惑だと感じます。

集める能力があると言っても、何の役にも立たないことに使われたならば、それほど迷惑なことはないでしょう。

もし財産に心があれば 「俺の主人は実に困ったものだ」と思うに違いありません。

ですから、財産が多いことのみを以て尊いと言うことはできないのです。道理正しい真正の力ある富、真に正しい国家を維持する富こそ、本当に大事な価値ある富だと言えるのです。ゆえに私は常に富が真正の道理に適うようでなければならないと唱道します。

これすなわち、道徳と経済の合一ということを強く主張している理由です。

すべて世の進歩というものは、各方面において組立てたものが順序よく発展していくことです。このすべての組立が順序よく発達するには、相寄り相抜けてともに進むようでなければなりません。

たとえばここにある人がいて、一つの事業を目論んだと仮定します、その一つの事業を営むにしても、自分の力だけで進むことは困難でありまして、必ず周囲の事情を察知して、よくこれに適応するようにしなければなりません。

ことに経済界の中心に立つものは、周囲の関連するさまざまな事態によって振不振を来すのですから、それぞれが助けあって進むようにしなければならないものなのです。

なかんずく銀行業などは、銀行そのものの力だけで成績を挙げることは困難であって、商工業が盛んになれば銀行業も盛んになり、商工業が不振となれば銀行業もまた不振となるという関係があります。

事業というものは、これをたとえれば、あたかも鏡のごときものであると言えます。

鏡そのものは澄んだ一点の曇りのないものであっても、これに写るものが醜ければ醜く見え、美しく見えるのです。

つまり鏡に醜く写るのは、鏡そのものが悪いのではないのです。鏡に美しく写そうとするには、写すものそれ自身が美しくなければならないのです。

世の中のすべてはこれと同様です。であれば、われわれが社会の一員として生存している以上、絶対に自分一箇で立ちゆけるものではありません。いかなる事業も、ともに持ちあうことで成就します。

したがって事業を営む上においては、決して侵害しあったり違背しあったりするようなことがあってはなりません。事業を経営せんとするに当たって、何人もまずこの点を深く考えねばならないのです。


日本の資本主義の父とも称される渋沢さんが携わった企業は500社にのぼるとも言われていますが、渋沢さんは全て自分の財産とはせず、時には私財を投げ打って社会のために貢献したと言います。

三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎は渋沢栄一と手を組み、海運業を独占しようと目論みましたが、「公益重視」の渋沢栄一は大激論の末に決別しました。

つまり、その気になればいくらでも富を独占することができたのです。

僕の大好きな『菜根譚』に次のような言葉があります。

権謀術数を使わない人は最高にすばらしい  

地位が高くて勢いのある人やお金がいっぱいあって派手な人に近づかない人は、清潔で良い。

もっとも清潔なのは、それらに近づいてもまったく影響を受けず、自分を通し続ける人である。また、権謀術数を知らない人は、高尚な人だ。

もっとも高尚なのは、それを知っていても使わない人である。

『全文完全対照版 菜根譚』野中 根太郎著

知った上で権利を行使しないって、スゴイですよね。自制心は道徳から来るのだと思います。

人は生まれた時は何も持たないと言いますが、富だけに限らず、誰かのためにすることが自分のためになる。

情けは人のためならず、という語源ですよね。

最後までお読み頂いてありがとうございました。

何か気づきがあれば幸いです。

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