砂時計。
ある日ふと見かけた砂時計に、なぜか僕は心を惹かれた。もちろん今までにも何度か目にした事はあったのだろうが、改めて考えると砂時計という物に必要を感じた事が無かったのだ。
たとえば時間を測りたいなら、キッチンタイマーもあるし、ストップウォッチだって持ってはいる。今時スマホにも標準アプリで入っているし、学生の方なら試験時間を体感するためにデジタル製のタイマーを持っている人もいるだろう。
そこで砂時計の必要性について考えてみると、ガラス製品としては取り扱いが面倒だし、代用品はいくらでもあるし、あえてアナログの必要性を感じなかったのだ。
しかし、商品の説明の中に「インテリアとして」という文章をが目に入った瞬間、何だか僕の心のどこかでムクムクと「あっ、ちょっといいかもしれませんねー」という感情が生まれたのだ。誰に向かって話しているのかは不明だけども、何となく美術品を誰かと見ているような、そんな感じの距離感になったのだった。
ただ、本当に必要なのか?という考えも同時に浮かび、その場で買う事はやめて、そっと何回かひっくり返してみたりしたのだった。
翌日もまた僕は砂時計の前を通り、そしらぬ顔で「僕は全く興味ないんだけども、何だかひっくり返してみんとす」という行為を繰り返してみた。依然として必要性は感じない。時間が砂の減り具合で可視化するというのは、数値を円グラフや棒グラフに置き換えたような利点もあるように思うけど、購買意欲にまでは結びつかないのだ。
そして、帰りの電車の中で「やっぱり砂時計って要らないよなぁ」と呟きながら、なぜだかぼんやりと砂時計の事考えてみたりもするのだった。
昨日も僕は仕事の合間に砂時計の事を考えながら、まるで花占いのように「要る」「要らない」を反芻し、もしも今日の帰りにあの店に間に合ったら買おうかなと思い、試みに休憩時間に時刻表を検索してみた。
結果は、定時きっかりに上がったとして、かなり急ぎ足で電車に飛び乗ればギリギリ閉店に間に合うほどにしか時間が無い事が分かった。
もっと時間に余裕がある時に買えばいいだけの話だけど、思い立ったら、というか追い込まれないと決心がつかない程に微妙な購買心なのだ。
そして、この機を逃せば、自分マニュアルと照らし合わせて、また花占いが始まりそうな予感があった。
その夜、僕は走っていた。
階段という階段を駆け下り、息をはずませながら、老体にムチ打ち、多少の筋肉痛は覚悟の上、地下鉄に飛び乗った。
店は駅から直結している。
目的の駅に着き、ホームに降り立つと僕はまた逡巡した。
果たして、本当に砂時計は必要なのだろうか。
値段は1500円ほどで決して高い買い物ではない。いたってシンプルなただの砂時計だ。
しかし本当に「僕」にとって、砂時計は意味がある物なのか。
頭の中ではすでに何回も砂時計がひっくり返り、閉店までのカウントダウンを始めている。
改札を抜け、左に向かえば店の方向だ。
タッチ式の改札を抜けた僕は、右へ折れた。そちらには乗り換えの駅がある。
やっぱり要らない。
買って、何に使うというのだ。
ひっくり返すのは手間がかかるだけだし、第一、時間が気になってしょうがなくなるじゃないか。上の球体から下の球体に落ちる砂は、蟻地獄に吸い込まれるような感覚を生み、癒しの効果があるというけれど、本棚から溢れた本がいつも机に平積みしている凡そインテリアとは程遠い僕の部屋に癒しの置物など不釣り合いも甚だしい。
割れたら終わりだ。やっぱり砂時計なんか要らない。
僕は駅に向かう階段を降りながら、要らない理由を並べ立てた。
ところが、改札が見えた途端に悪魔が囁いた。
「あと数分で閉店だぞ。何のために走って電車に乗ったのだ」と。
迷っている間にも時間は過ぎている。砂はとっくに落ち切っているのだ。
次の瞬間、僕は踵を返し、上りのエスカレーターに足を乗せていた。
そもそも自分はなぜ下りのエスカレーターを使わずに階段で降りたのか、その時点で悪魔の出現は決まっていたのだと思った。
そこから僕は、ロスタイムを取り戻すように走った。せっかく車内で引いた汗が再び体を蝕み、マスクの中に溜まる熱気と息苦しさに耐えながら、半分シャッターの降りた店内に滑り込んだ。
販売員の僕が日頃されたくない行為を体現する背徳感。
違うんです、これでも急いでやって来たんですよ、確かにちょっとは迷いましたけど、でもやっぱりこの砂時計が欲しいんです!
時計を見れば、閉店までもう10分も無い。
猫よろしく、まっしぐらに目的の砂時計を目指した僕は、商品の箱をむんずとつかみ、レジへと直行する。
そうして、今僕の机の上に砂時計がある。
はっきり言って全く必要は無い。
なのに僕は砂が落ち切るとまたひっくり返すのだ。
時間は有限。
時は砂のように流れていく。時を戻そう、というのは戻せないから笑えるのだ。
手作りなので多少の誤差はあるらしい。
15分の砂時計。
ひっくり返せば30分。
またひっくり返せば45分。
またまたひっくり返せばー
何のためにひっくり返しているのかは分からない。
目の前にボタンがあれば押したい衝動に駆られるのが人間なのだ。
僕は砂時計の奴隷としてこれからも時間を無駄にしていく。
そして、ここまで読んだあなたもまた時間を消費しているのだ。
あるいはあなたも砂時計を買ってみたら、僕と同じ心境になるのかもしれない。
砂は今も落ちていく。さらさらと。
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