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菜根譚に学ぶ「心の持ち方」

今回も前回に続いて、野中根太郎さんの全訳シリーズを基に理解を深めていきたいと思う。


人生は毎日、喜びと楽しい気持ちがなければならない


強い風や激しい雨のときは、鳥さえも不安でおびえている。良い天気ですがすがしい風が吹いているときは、草や木も生き生きとしてうれしそうである。

これでわかるように天地の間には、一日も欠かすことなく和気が必要だし、人の心には、一日も欠かすことなく喜びと楽しい気持ちがなければならない。

前集・六条

沈思黙考(瞑想)のすすめ


夜が更けて、人々が寝静まったとき、独り坐して自分の本心を観察しているうちに、次第に邪念や妄想が去り、本来の自分の純粋な心が見えてくる。こうして、だんだんと応用自在の心のはたらきが会得できていく。

また同時に本心、真心が現れてくるものの、邪念や妄想は完全に除きがたいこともわかってくる。そこでまた、大きな懺悔の心が湧き、さらなる成長に向けての心がけも生まれてくる。

前集・九条

静かな境地のなかにいて、その上で活力を失わない生き方が良い


動くことを好みすぎる者は、雲間に光る稲妻や風前のともしびのように危うい。これに対し、静かさを愛しすぎる者は、あたかも火が消えて冷たくなってしまった灰や枯れてしまった木のように生気がない。

流れない雲や留まっているように見える水のような静かな境地のなかで、鳶(とび)が飛び魚が躍り跳ねるような活力があるべきだ。こうあるのが、本当に道を修得した人の姿である。

前集・二十二条

事後の悔恨を考えて行動できれば誤らない


満腹の後になって、味のことを思ってみると、うまい・まずいの区別はどうでもよくなる(よくわからなくなる)。情事を行った直後では、男女の色欲のことを思っても、もはやその欲は消えている。

だから、人は常に、そのことが終わった後の悔恨を考えて行動すれば、愚かな心の迷いを除けられて本心もよく定まり、誤りのない行動をとることができよう。

前集・二十六条

心が豊かで、人柄が謙虚でないといずれつまずく


お金持ちで、地位の高い家の者は、当然、寛大で温厚なはずと思えるのに、かえって疑い深くて、心は冷酷である。これは物質的には豊かなのかもしれないが、精神的に貧しく行いも貧しいといわざるをえない。これでは、いずれ不幸となっていくに違いない。

また、聡明で才能ある人は、当然、そのことを隠すものだと思えるのに、かえってひけらかしてしまっている。これは才能があっても、欠点がそのままなので自分の暗愚さに気づかないからである。これでは、いずれ失敗することになろう。

前集・三十一条

何もしない、やる気もない人間はどうしようもない  


車をひっくり返すような暴れ馬も、よく調教すれば乗れるようになるし、鋳型から飛び出るような金も、やがて鋳型におさまる。

ただどうしようもないのが、一日のんべんだらりとし、やる気のない者である。これでは一生進歩せず、使いものにならない。

白沙先生は言う。「生まれついての多病(欠点が多い)は、恥ずべきことではない。むしろ一生病気のないこと(問題意識、危機意識の欠如)のほうが心配である」。まことに確かな正論である。

前集・七十七条

苦しいなかでも楽しみが感じられるようにしたい


静かな環境のなかで、心を静かにすることができたとしても、それはまだ本当の静かな心ではない。

さわがしいなかで、心を静かにできたら本当の心のあり方を見つけたといえる。楽な環境のなかで、心の楽しみが感じられても、それは本当の楽しみではない。

苦しいなかで、心を楽しませることができたら、本当の心のはたらき方が見えるようになる。

前集・八十八条

自分の考える正しい信念や行いを貫く

 

自分の信念を曲げてまで人を喜ばせるくらいなら、信念を貫き自分の行いを正しくして人に嫌われるほうが良い。

善いことを行ってもいないのに人にほめられるくらいなら、悪いことを行ってもいないのに批難されるほうがまだましだ。

前集・百十二条

美しさや清さを他人に誇ると良くない  


美しいものがあれば、必ず醜いものがあり、これは対をなしている。だから、私が美しいことを自慢しなければ、誰も私のことを醜いとは言わない。

また、清いものがあれば、必ず汚いものがある。だから、私が清いことにこだわらなければ、誰も私のことを汚そうとしない。

前集・百三十四条

誠実な心を貫く覚悟を持つ



人を信じる者は、人は必ずしもみんなが誠実だとは限らないものであるが、少なくとも自分は誠実だということになる。

人を疑う者は、人は必ずしもみんなが偽るとは限らないものであるが、少なくとも自分はすでに心を偽っていることになる。

前集・百五十九条

いつも心を落ちつかせて、すっきりした心と目を持っていたい  


何も起こらないような平穏無事のとき、えてして心がぼんやりとして、物をいい加減に見てしまいがちである。このようなときこそ、心を落ちつかせ、その上ですっきりとした心と目で物を見るようにしたい。

逆に事が起きたとき、心がはやりがちになってしまいがちである。このようなときも、心と目をすっきりとさせておき、心が落ちつくようにしたい。

前集・百七十二条

一人の前向きな良き心が、将来の時代を良くしていく  

一人ひとりのちょっとした誠実な思いやりの心が、この世になごやかな気持ちをかもし出す。私たちのほんのわずかの心の潔白さが、百代後までも、清々しくかぐわしい香りを、明らかに伝えていくのだ。

前集・百七十七条

心の主体性を確立しておく

 

忙しいときでも自分の心に余裕を持ちたいと思うなら、日ごろから暇のときに心の置きどころを尋ねておくべきである。

騒がしいなかでも静かな心を持ちたいと思うなら、まず静かなところで心の主体性を確立しておくべきである。そうでないと、まわりの環境に振りまわされ、起こる事態になびくことになってしまう。

前集・百八十一条

自分を磨き育てるには繰り返してじっくりとやる


自分を磨き育てるなら、金を精練するときのようにじっくりとやらなくてはならない。速成でつくろうとすると、良いものはできあがらない。

事業を始めるときは、重くて強い弓を放つときのように、慎重にやるべきである。慌てて始めると、うまくいかない。

前集・百八十八条

くよくよしない。いい気にならない。


安易に考えない。気後れしない  思い通りにいかないといって、くよくよするな。思い通りにいくからといって、いい気になるな。今が良いからといって、将来を安易に考えるな。初めに立ちはだかる困難の壁に気後れするな。

前集・百九十九条

自分の不満や悩みはまだまだ小さいと考える  


物事が少し思うようにいかなくて悩み始めたときは、自分より悪い条件でがんばっている人のことを思うと良い。そうすれば、不満も悩みもぜいたくなことだと悟ることができるだろう。

また、少しなまけ心が生じたと思うときは、自分より先行く優れた人のことを考えると良い。そうすれば、そんなこと思っていられないと精神が奮い立ってくるだろう。

前集・二百十二条

自然の美しさを感じられる心を持つ

 

気持ち良い風や、咲く花のさっぱりとした清らかさや、雪景色を照らす月のひろびろと澄みきったすばらしさは、ただ静かで感受性ある人のみが楽しむことができる。また、水の流れや草木の変化、竹や石のたたずまいの移り変わりを観賞できるのは、心のどかでゆとりのある人だけである。

後集・百一条


あなたに気づきがあれば幸いです。気になった方はぜひ読んでみてください。




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