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ワンオクロックについて

(※この記事は5分で読めます。少し長いですが、お付き合い頂ければきっとあなたにも何かが伝わると思います。)

ちょっと前になるけど、これを見た。今は新しいライブ盤も出ているらしいし、現在ツアー真っ最中の人気バンド。

そもそも僕はロックというものをほとんど聞かない。メジャーポップスが好きなので、語るだけのものを持たない。

そんな僕の感想はと言えば、もし10代ならかなり影響されたんだろうなという熱さがそこにはありました。見せ方も上手いし、観客への煽り方もスゴイ。そして、CD音源なんかと比べ物にならないくらい歌が上手い。上手いという表現が拙くなるほどに声に表情がある。

誰しも好きなアーティストには、思い入れがあるでしょう。だから誰が上手いとか言うこと自体ナンセンスですが、素直にすごいと思ってしまいました。

中には洋楽のモノマネだと言う人もいるでしょう。

本人の言葉を借りれば、英語の口で歌う唄と日本語の口で歌う唄と、その両方と。楽器のように奏でる声と、まだまだ模索中であることも窺えます。

彼らが目標へ向かう真摯さには、ある程度の歳を取ってしまうとまぶしく目を細めてしまう自分がいます。

少年ジャンプの王道漫画のような真っ直ぐさを避けたくなる自分がいるのです。

でも、僕はそういうのが好きなんだな。

それを認識させられました。

光があれば闇がある。

光が強ければ闇が濃くなる。

でも闇をも作らないくらいのどこまでも光で覆い尽くすような世界に僕は憧れるのです。それを自覚せざるを得ないくらい、彼らは輝いてそこにいました。

夢を語る彼らに対してキレイごとだと批判する人を否定するわけではない。

決して自分の意見を押し付けたいわけでもない。逆に押し付けられる迷惑を声高に主張する人や態度に出す人が苦手なだけだ。

みんなが平等なわけではない。

ワンオクのファンだと言い切るつもりはない。新しくスタートを切った彼らを批判している声もあるらしい。

まだ僕はそれほどに彼らを、彼らのこれまでの軌跡を知らない。略称で呼ぶなという批判もあるだろう。

ただ、今感じたことを今ここに書いておこうと思う。僕が心に残ったことを書き綴る。

これから見る人もいるかもしれないから、できることなら興を削ぐようなことをしたくはないのだけど、発売からかなり経っているし、TaKaのMC部分の一部を多少中略しながら載せたいと思う。

ー『Take what you want』 のMCより

今までのONE OK ROCKが作ってきた曲がいろんな人達の背中を押して来たんだったら、これからもそれをやって行くのか。それとも違う方法論でこの先の10年間を突っ走って行くのか。
こっから先の10年同じことをやるのかと言われたら僕の中で答えはノーでした。
これからのONE OK ROCKは自分達がしっかりと夢に向かって走って行く、そんな姿を見て、ああ自分達も頑張って行かなきゃいけない、背中を押されているなーと。そんな風に感じて欲しいなと心の底から思っています。
すごく冷たいこと言うようだけど、ONE OK ROCKがなきゃ生きていけないなんていう、そんな淋しいこと言ってるようじゃ、ぶっちゃけ自分の夢になんか到底追いつきません。
なぜなら俺らは俺らのために音楽をやり、自分達のために今日も生きてる。
そして今日、この会場に来たあなた達も、同じようにチケットを買って、自分で生きて、この会場まで自分の足でたどり着いてるはずです。
とってもわがままなバンドかもしれないし、いろんな言葉をこれからも投げかけるかもしれないけど、絶対に忘れないで下さい。
僕たちは、みなさん達と、一緒に頑張るためにバンドやってます。
みなさん達に、こんな俺らでも、こんなことできんだぜって、見せるためにバンドやってます。
僕らはアイドルグループでも、ボーイズグループでもありません。
忘れないで下さい。ロックバンドです。
メディアに何を非難されようが、知らない人間に何を言われようが、俺らはこれからも自分達の道を突き進みます。
そして、今日ここに来てくれているみなさん達と一緒にみんなが、それぞれ、不可能かもしれないけど、素晴らしい景色を見るために頑張って行けたらいいなと思っています。

ー『We are』のMCより

18歳の頃僕らは、いつか自分達が何か変えられると、いつかこの腐った音楽業界を超えてやると、そしてロックがまた再びこの日本に戻ってくること、いや日本のバンドがいつか世界を制するかもしれない、そんな現実を突きつけてやろうと、俺らは誓いました。
まだ何も叶っちゃいないかもしれない。でも俺らは諦めない。
今日この会場に来ている18歳より上、俺はもう年だから、そんな風な言葉を酔っ払って吐くような奴に、次の曲を贈ります。
ONE OK ROCKのライブに来たって事は、そんな感情じゃないものをちゃんと持って、熱い感情を持って来ていることぐらい分かっています。

(中略)

他の誰かになりたいとか、そんなくだらないこと、絶対に思うなよ!お前らはお前ら自身でしかない。誰かのせいにして自分の夢から逃げるな。自分をよく見ろ!不安を飼い慣らせ!
いいかお前らにできることはたくさんある。自分の胸に手を当ててよく考えてみろ。一番したいことは何なのか。それがきっと明日からはみんなにできるはずです。
よろしくお願いしますっ!


さて。

熱くなってしまったので、少し頭を冷やそう。

夢とは何か。

持っていない人。探している人。探したけど、やっぱり見つからない人。見つかって挑戦したけど挫折した人。別の何かを探す人。

生きていくとは何か。

いろんな思考が錯綜しながら、それが生きていくということなのかと今日もどこかでふと思い、また忘れる。そしてまた誰かを見て思い出す。あるいは誰かのために何かをして生きている実感を得る。自問自答。流される日常があるだけ幸せではないかと思う。

自分が中心にいすぎて疲れる。それでいて中心から外れることができない。できたつもりで忘却か回避しているだけ、etc

市原悦子さんの最後の仕事

人生の先輩であり、大女優である市原悦子さんの「おやすみ日本」の特番を思い出した。

朗読の際に全身に力が入ると、手も足も震えが止まらない。進む病状。

そして、病室のベッドの上で最後の、いや最期の「日本眠いい昔ばなし」の朗読が収録された。2018年12月21日。

市原さんからの提案で実現した、この貴重な収録に市原さんはこんな条件を添えた。

「今回は原稿を読むんじゃなくて、私の言葉で、私なりに話したいんだけどいいかしら?」

原稿の無い、頭の中の記憶をたぐりよせながら鳥取の昔話を語り始める。それは6分ワンテイクで収録された『米出し地蔵』という物語。その声は弱々しくも、時折、芯の強さと優しさを感じさせながら、僕を物語の中へといざなう。

語りが終わった後、市原さんはこう続けた。

「いい話でしょ。ふふふ。わたくし今日はゆっくり眠れると思います。みなさんもよ、きっと。いい夜がきますように。ふふふふ。」

その微笑みに、言葉にはないメッセージを僕は勝手に受け取った。気持ちに言葉をつけないでおこうと思う。ただただ何かが去来するそれには。

自分を生きるとは何なのか。きっと死んでも分からない。誰かがそれに意味を与えてくれる幸せを感じることもその時にはもうできない。

強く生きるのは疲れるけれど、誰かが自分の生き方を見ているのだと思えるだけで強くなれる時もある。生きている以上、本当の孤独など存在しないと、僕は思う。

そしてもし孤独を感じたのなら、僕は外に出たいと思うだろう。誰かに自分のそんな気持ちをそっと隠しながら、全然関係ない話で伝えたいと思うだろう。そう思わせてくれるのは他人の存在であり、誰かにとってそう思われるような自分でありたい。

これからも僕は誰かの心ない言動や偏見をそれなりに受け止め、ある時は誰かを傷つけ、反省し、またある時は誰かの作品や生きる姿に感動し、人の優しさをかみしめ、そんないろんな感情に翻弄されながら、生きていくと思います。

それが今の僕の生きているということへの感想です。応援する側だけに回るにはまだ早いと思えたら自分を生きていると言えるのではないでしょうか。

共に同じ時代の船に乗っている僕らだから、互いに背中をさすりながら生きていけたらいいなと思います。

最後まで読んでくれたあなたに、ありがとう。


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