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菜根譚に学ぶ「生き方」とは。

今回も野中根太郎さんの全訳を基に理解を深めたい。

正しい生き方をする者は永遠の価値を得る  


人としての正しい道を守っていく者は、不遇になることがある。しかし、それは一時的なものだ。

逆に権力を持つ者にこびへつらう者は、一時的にはうまくいくかもしれないが、いずれうまくいかなくなる。それは永遠の寂しさとなる。

人としての正しい生き方(道)を知る達人は、目の前の世俗の利益より正しい真実を求め、死後の朽ちざる名を考えるものだ。だから一時的に不遇を受けても、永遠の不遇を招くような生き方をするべきではない。 

前集・一条

権謀術数を使わない人は最高にすばらしい


地位が高くて勢いのある人やお金がいっぱいあって派手な人に近づかない人は、清潔で良い。

もっとも清潔なのは、それらに近づいてもまったく影響を受けず、自分を通し続ける人である。また、権謀術数を知らない人は、高尚な人だ。

もっとも高尚なのは、それを知っていても使わない人である。

前集・四条

知っていても使わないというのが一番難しい。前と悪は表裏一体。


他人に幸せを与えられる人は幸せに生きることができる  


狭い小道において混み合うようであったら、自分が一歩よけて人に道を譲る。

また、おいしいものをみんなで食べているときは、自分の分を三分ぐらい減らして人に譲る。こうした心がけが、安全で幸せな人生を送る生き方の一つである。

前集・十三条

譲る。でも譲りすぎては相手も気を遣う。さりげなくできる人は素敵だ。


自分に厳しくあれ  


人から恩恵や利を受けるときは控え目にして、他人より先に取ろうとしてはならない。しかし、世のため人のためになることをするときには、他人に遅れをとってはいけない。

人から物を受け取るときは、分相応を超えないように気をつけるべきである。しかし、自分を鍛え向上させることについては、自分の分を減らそうなどと考えてはいけない(できる限り上を目指して努力すべきである)

前集・十六条

情けは人のためならず  


この世を生きていくにおいては、人に一歩譲る心がけを持つと良い。一歩を譲ることが、実は自分が一歩先に行く根本となるのである。

また、人に完全を求めてはいけない。一分は寛大な心がけがあると良い。この人のために利する行為が、将来の自分のための土台をつくってくれるのだ。

前集・十七条

人に情けをかけておくといずれ自分に返ってくる。これを日本人は、人に情けをかけるとその人のためにならないと解する。これは誤ちだろうか?受験問題ならそうかもしれないが、多くの人がそう解釈するのならそれでいいと僕は思う。言葉の意味は時代や国によって変わる。転石苔生ぜずも同様。

何事もほどほどにして、欲をかきすぎない

 

何事も、多少のゆとりを残して控え目にするという気持ちを失わなければ、造物者(天)も私を嫌って禍いを下したりしないし、神々も害を加えたりしない。

これに対し、仕事や事業をするにおいて、欲深く最後に行きつくまでの功績や成功を求めていると、内部から裏切りなどで崩壊していくか、さもなければ必ず外部から切り崩されていくだろう。

前集・二十条

人に譲ることでうまくいく  


人の心は変わりやすく、人生航路には厳しいものがある。だからたやすく通れないところでは、自分の方から一歩退いて人を先に行かすようにすべきである。

また、楽に通れるところでも、十のうち三分は人に譲る心がけが大切である。

前集・三十五条

七分は自分というところに注目したい。五分ではやりすぎなのだ。


本物と有名であることは違う  


本当に清廉で立派な人物には、清廉であるという評判は立たない。評判となる人は、実は、それを利用してやろうという欲を持つ人である。

本当に凄い技を持っている人は、わざわざ巧妙な技を見せない。巧妙な技を見せびらかすのは、まだ未熟な者でしかないという証拠である。

前集・六十二条

能ある鷹は爪隠す。評判が際立つ人は裏があるということ。指先一つで拡散される時代ではあるけど。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。気づきがあれば幸いです。興味を持たれた方はぜひお読みください。

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