運動と脳機能の研究~大学院生奮闘記 博士課程編⑭~

原著論文アクセプト

博士の学位取得するには、博士課程で実施した研究の原著論文が国際誌にアクセプトされる必要があった。ドイツで修正を行っていた論文をドイツ帰国前夜に再度投稿し、結果を待った。国際誌からの連絡には、さらに修正が必要だとい通知が返ってきた。博論提出が10月くらいだ。それまでにアクセプトをもらわなければ、博論の提出権利が得られない。そんなこんなで7月が過ぎようとしていた。

さらに修正が必要ならば、もう博論提出には間に合わないだろう。修正した論文を国際誌に送り、審査員が約2ヶ月くらいかけて審査する。その後修正が必要ならば2ヶ月くらいの時間を要する。つまり、最短でも合計4か月は必要になる。その場合、今年度の博士論文提出には間に合わない.次の結果でダメだったら、今年で博士の学位取得は無理だとなかば諦めかけていたところもあった。

博士を辞めたら次何しようかと考えていた。運動と脳機能に出会ってから20代ひたすら自分の興味を追って、自分のために生きてきた。自分の目標に向かって努力していくことも大切だと思う。このころから人のために残りの自分の人生を使いたいと考えるようになった。博士課程を退学したら、誰か人のために寄り添える職業に就きたいと考えていた。

そんなことを考えている8月、国際誌から結果が返ってきた。結果はアクセプトだった(この論文についてはこのリンクを参照)。アクセプトの瞬間、色々な思いが走馬灯のように頭の中に駆け巡った。なかなかうまくいかないプレ実験。フランスまでいって勉強しに行った脳波解析。ドイツで夜な夜な日本と会議しながら行った論文の修正など。この結果により、博士の学位取得に大きく前進することができた。ここから全速力で博士論文を仕上げる必要があった。今の時点でまだ完成には程遠かった。おそらく提出日は締切日ぎりぎりになるだろう。ぎりぎりなら間に合うと確信していた時、一つ忘れていたことがあった。博論提出締切日の前にオーストリアに行き、学会発表をする予定が入っていたのだ。自分の調査不足だった。学会発表と博論提出日が重なっていたのだ。この事実に気づいた時、「終わった」と心の中で感じた。

ただ、代理提出という制度があった。申請をすれば、自分の代わりに大学の事務所まで他の誰かが論文を提出できる。ぎりぎりまでオーストリアで直して、オーストリアからメールで論文を研究室のメンバーに送り、代理で提出してもらうことができれば、博論提出可能だ。実際は、オーストリアに行く前に提出しようとしたが間に合わなかった。結局、オーストリアから論文を送り、代理提出をすることで無事博論を提出できた。

口頭審査中にパソコンがフリーズ

学位取得には、審査がある学術誌に論文がアクセプトされていなければならない。また、博士論文を提出しなければならない。加えて、博士論文審査には、主査と副査の先生がそれぞれおり、その先生方の審査を通らなければ博士は取得できない。提出した博士論文をもとに主査と副査の先生が論文を読み、後日設けられた口頭審査で研究を発表して博士学位の審査が行われる。口頭審査で学位取得に不十分だと判断されれば、博士取得はできない。

口頭審査のために、スライドを作成し、練習を何度も行った。発表時間はだいたい20分で質疑応答が30分くらいある。これを乗り切らなければならないのだ。発表時間を過ぎて発表を続けていれば、審査の先生方への印象は悪くなる。もちろん早すぎても同じだ。準備不足が露呈した時点で、博士の学位が一歩遠のく。発表時間内に分かりやすく伝わるよう何度も何度も練習した。実際に研究室のメンバーの前で練習を行い、発表時間内に収まるか、スライドは分かりやすいか、説明は適切か、質問に答えられるかなど練習を行った。自分の中では、申し分ないレベルにまで到達したと感じていた。

発表当日。練習を十分に積んでいたので、緊張は特にしなかった。久々のスーツを着て口頭審査が始まった。発表して10分くらいが経ち、後半に向けてこれからだという時に、パソコンがフリーズした。これまで、そして今まででも発表中にパソコンがフリーズするなんてことは無かった。カーソルキーが渦を巻き始め、どのボタンを押しても動かなくなった。ここで柔軟な対応ができる能力があればよかったのだが、ただただ焦るだけとなってしまった。これまで練習してきたことが水の泡になった瞬間だった。とりあえず、強制終了をして再起動をした。いつもより何倍もの時間がかかって起動した。とんでもなく長く感じた。起動してスライドの準備ができるまでは、用意しておいた紙媒体の資料で発表を続けていた。無事にスライドの準備も整い、気持ちも落ち着いて、無事に発表が終わり、質疑応答もなんとか乗り越えることができた。大事な発表中にパソコンがフリーズするあたりが、自分らしくて面白い。よい思い出ができた。

博士学位の取得

年が明け、大学から正式に博士(スポーツ科学)の学位を取得したとの通知が来た。ここまで支援していただいた両親、論文の共著の先生や指導教官の先生に感謝の意を伝えた。全くの畑違いの分野から、100km、筋トレ、TOEICを受験することで道が開け、ここまで来るにいたった。周りからは無理だとかやめた方がいいとかいうことを言われたが、そんなことに特に耳を持たなかった。自分の興味をひたすら追い続けた結果、ここまで来ることができた。というよりも、目標に向けて計画的に生活できず、やりたいことを見つけたら向う見ずに挑戦した結果だろう。こういう不器用な生き方しかできない。たいしたことは成し遂げはないが、興味に沿ってひたすら走り続けることで予想もできないところに到達できることが分かった。

学位授与式を欠席してアメリカへ

博士の学位を取得すると、アカデミックドレスというものを着て、学位授与式(卒業式)に参加する。なかなかこんな機会は無いので、博士取得者の特権だろう。ただ、自分にはなんの魅力も感じなかった。そもそも行事とかに対してもともと興味はなかった。だから、学位授与式があるにも関わらず、アメリカで開催された学会に参加し研究発表をしていた。学会渡航の補助がでなかったので、自費で行くことになった。自分の中では学位授与式を欠席して、アメリカに行って良かった。この学会には、運動と脳機能の研究で世界のトップを走るアメリカの研究室の教授の先生やその研究室に所属している研究者が来ていたため、直接会うことができた。今まで論文でしか見たことなかったのが、実際にお会いするとなると非常に感慨深かった。卒業式でアカデミックドレスを着る代わりに、ピチピチの服を着て筋肉をアピールしながら、気さくに話してくれるアメリカの研究室の教授の先生や研究者の方々とお酒を飲んでいた。アカデミックドレス着て卒業式に出るよりも、こちらの方が自分には似合っていた。

次なる挑戦へ

これで、20代ひたすら駆け抜けた運動と脳機能の勉強を一区切りすることになった。卒業後、新たな挑戦が始まった。この挑戦の話は、また別の機会で。

ここまで読んで下さった方に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。