Tinderで会った男性のおかげで第一志望に内定した話

こんな時期だから私の就活の話をしたいと思う。

はじめにTinderをご存じだろうか。就活の話はというツッコみはひとまず待ってほしい。Wikipediaによると以下のように説明される。

『位置情報を使った出会い系サービスを提供するアプリケーションソフトウェア、「デートアプリ」で、相互に関心をもったユーザー同士の間でコミュニケーションをとることを可能にし、マッチしたユーザーの間でチャットすることができるようにするもの。』

Twitterの女子大生によって”そういうアプリ”という印象をもつ人も多いと思う。あまり堂々と使っているとは言いづらい類。ただし公式サイトには「スワイプするだけであなたのコミュニティを簡単に広げることができるツールです。」と書いてあり、広報によるとあくまで「社会的なつながりを作り出すサービス」とある。

ある時、出会い系と言われるようなマッチングアプリには大体手を出したという猛者の先輩から「Tinderの人が一番まともだった。おすすめ。」と言われ、好奇心から何度か使った。実際十二分に気を付けてさえいれば特に危険なこともなく、私には”自分とまったく違う生き方をしてきた人間と話せるだけの超健全ツール”だった。一部、遊び人に成り果てた幼少期からの幼馴染とマッチングしたり、サークルの友人にLikeしたもののマッチされなかったりした。

そろそろ真面目な話しを、と思われそうなので話を戻してみる。就活時、私は人生に迷っていた。前年の夏頃からは自分の将来について考え始めたものの、12月になっても結論は見えなかった。
生きていると時々、ふと人生の終わりまで瞬時に見渡せる時がある。今頭を働かせなければ、正しくなくても考えなければ、失意のままに生涯を終えるだろうという予感があった。

1月になると何かに追い立てられるように、ある人に相談をした。「まだあまりはっきりしたものが見えていないですよね。とりあえず2カ月くらいで200人に自分の考えを話したら。そうしたら聞いても納得するようなものになってるから。」積極性のあるその人らしいアドバイスだった。

とりあえず1カ月で100人に会うことにした。毎日決まった人数に会うのは難しいので、毎日最低3人にアポイントを取り付けることにする。まず連絡の取りやすい人から徐々に遠くの人へ。友人づてに紹介もしてもらった。
そこまで友人が多くもないので、次第に相談相手の候補が浮かばなくなってくる。次第にいくつかの就活生用のマッチングアプリも使い始める。オンラインで会うことに抵抗はなかった。その流れで自然とTinderにも行きついた。

リスクを取りたがる慎重派のきらいがあるために、何人かに会った所で火のアイコンはスマホの奥底に眠っていた。ああ、そういえば、1月に気まぐれに2,3回やりとりをした人がいた。とても丁寧な言葉遣いだけど1つの文章で何度も(^^)の顔文字を使ってくる変な人だった。プロフィールには海外を数カ所程周って外資の日本勤めと書いてあり、当時留学を考えていた私は特に期待もせず話だけ聞いてみようと思い立つ。1カ月ぶりに返信をしてその旨を伝えるとスムーズに電話が決まった。

通話が始まってすぐ、その人は自分の経歴をすらすらと話し出す。あまりに詳細に語るのでかえって心配になりつつ、淀みない話し方から頭が良いのだろうという事だけは推測できた。1時間程LINEで話して通話が終わった後、「応援しています(^^)一緒に頑張って行きましょう(^^)」とくる。
やはり顔文字が多い。そしてやや、優しすぎて怖い。頭が良さそうなので余計に怖い。でも明らかに怪しいと思う所も特にない。業界も近い。相談したらきっと良い助言をくれる。

はじめてTinderで会った相手に2回目の約束を取り付けた。それが3回目になり、自然と4回目になり、気付いたら5回目になった。身近な人よりも相談の回数が重なっていった。気軽な出会いだったからこそ頼みやすかった。

彼との間にはもはや十分に、”Tinderを使った就活相談”なる不思議な関係性が確立されていた。会うのはいつも日中に彼の職場のビル内にある飲食店。
見ず知らずの相手ながら、彼はいつも時間を割くことを厭うそぶりを見せない。会うと、文章の印象とは打って変わって、どうやら無人島で生還してきたかのような隙のなさをまとう人だった。

加えて、彼はかっこよかった。無粋な意味ではない。おそらく職業柄身についた洗練された所作や先読みされた気遣い、私のコミュニティ圏内にはいないタイプの目新しさが魅力だった。「現在の勤め先のような世界一の企業に入りたくて、何度も落とされながら30回程渡米した」と彼は言った。
振り返ると盛られていそうな数字ではあったとしても、話す声音自体に違和感もなく、話していた瞬間のその熱量は本当なのだろうと思えた。

当時、私はとてつもなく自信がなかった。そもそもが脆弱なために失敗ばかりしてきたから。親には「お前には無理だ」と何度も言われた。人からみてすごいと言われるような簡単にわかる何かも持っていない、でも自分なりの挑戦がしたかった。

鮮烈だった、挫折と執着心をもって命を燃やしている彼の姿が。

彼は経験豊富な社会人としてあらゆる情報を与えてくれたが、なによりも与えられたのは勇気だった。

いたずらに否定されることは一度もなかった。「その目標を達成するにはこれが必要でこれだけの時間がかかる」ことは事細かに教えてくれた。「あなたには難しい」とだけ言われることもなく、いつも道筋を示してくれた。何故か、そんな経験を私はこれまでしたことがなかった。
進路相談に始まり面接の練習相手にもなったし、自分の実力以上の知識を与えてもらった。頭がよく、魅力のある友人や知合いは沢山いる。それでもこれはきっと偶然の結果だけれど、ここまで丁寧に、何度も、最後まで助言をくれる人は初めてだと思った。

結果、私は当時の自身の実力と行く末を照らし合わせ、最良の挑戦先と思って選んだ企業に内定を貰った。努力もしたし、安全圏だった可能性もある。それでも、弱気な自分を見透かすような適格な助言を与えてくれたあの人がいなければ、結果はきっと違ったものになったと思っている。

さて、ここまでくれば、Tinderというアプリが「社会的なつながりを作り出すサービス」であることにも納得感があるだろうか。「もの」は「もの」だし、使い方次第で得られる価値は如何様にも変わる。コミュニティに依存しない出会いだからこそ関係性はどこまでも自由で、軽さは悪ではない。
とはいえ、こうしたサービスが結局のところリスキーなことに変わりはなく、使えとも言えはしないのだけど。

振り返ってみて言えることをまとめたい。
自分に勇気を与えてくれる出会い、人生観を広げてくれるような出会いの火種がどこにあるのかはわからない。ある時点において、少なくとも自分にとって、関わると良い相手は存在する。それは想定しているずっと外側にあるのかもしれない。だから好奇心をもってとりあえず、外との繫がりを持ってみる。期待がなくても関わってみる。たまには、そういう生き方もいい。

勿論、実際は彼だけではなく、相談する過程で新たに出会った人や、身近の色々な人にも様々な形で支援をしてもらったことに感謝している。そもそも「200人に会え」と言ってくれる人がいなければこうした人々とも出会うことがなかった(結局200人は達成できていないけれど)。
出会いは糧になった。将来の見通しが立たず、すべきことを前にして自分に何かが足りない自覚があるのなら、きっと無駄ではなかった。


「本当にありがとうございます。こんな見ず知らずの相手にここまで親身になってくださって、本当に感謝で―――」

最近、知合いのつてである学生から就活相談を受けていて、そんなことを言われる。私の勤める会社が第一志望だと言う。「自分の実力では足りないが挑戦したい」という姿が、数年前の自分と重なる。そういえば、まったく同じ感謝の言葉を私もあの人に言っていたのを思い出す。
この重複はきっと、折に触れて彼の行動をなぞっているからだろうか。あの人のようにスマートな助言はできないけれど、できる限り”お返し”が出来たらいい。

彼と内定報告をした後に会う事はなかった。はじめから最後まで、”Tinderを使った就活相談”相手以上でも以下でもない気軽な関係だった。彼は99.99%実在した(と思う)。それでも、いつも首から下げている社員証やLINEのタイムライン、実名のFacebookがあったとしても、彼が本当に本物だったのか、それを確実に知る術は私にはない。

"夢の中"で、いつかまたあのかっこいい大人を思い出すのかもしれない。
だとしても、信頼できる人間が信頼できる情報を言うとは限らないのだ。それに信頼できない人間が信頼できない情報を言うとも限らない。だから、自分が考えて納得出来れば、今はそれでいい。


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