過去を否定して生きるということは

過去の清算をした。
数十年にわたるトラウマ的なものについて、文字という姿で整理をつけた。

しかし当然のように、すぐには何もかもが変わるわけではない。
整理をつける前はとても苦しい。その状態が回復すると、一見それが乗り越えたという言葉の現れに感じることがある。

しかしこの時の「乗り越え」というのは、自分が新しい生き方を実践できるようになったということではない。少なくとも過去を直視すると同時に、過去と同じ生き方を続けることを否定できた、ただそれだけ。

だから「乗り越え」はずっと続いていく。何度「乗り越え」ても、幾度も否定した生き方や自動思考が再び眼前に現れることを確認しなければいけない。難しいのは、その上新しい価値観同士でも衝突が起きるということだ。新しいものだから、探り探り何度も見直しながら嚙合わせていく必要がある。

時々、要所でかつての自分と出会う。
慣れ親しんだ思考と新しく得たい思考癖、価値観同士の衝突に飲まれると、結局のところ、自分がどうしたいのかがわからなくなり、前に進んでいるのかもわからなくなり、果てしない失敗の連続と”自分”たるものの不変・不確かさに、どうしようもなく泣きたい気持ちになるのである。

それでも過去を否定して生きる。
なぜ?それが、自分を好きでいられる唯一の手段だから。

そうやって生きて、また選択を迫られるのだ。
自然な心の移ろいに身を任せるか、あともう少しだけ忍耐を持つかである。


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