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この社会で成功する秘訣

インタビュアー「○○さん、大変な偉業をなしとげられましたね。成功の秘訣はなんですか!」

○○「そうですね、やっぱり家事育児などのケアワークを他人に任せきったことですかね😉」

江草作の架空のインタビュー


いやあ、身も蓋もないブラックな開幕で申し訳ありません。

でも、こういう側面はぶっちゃけ現実としてあると思うんですよね。

何かしらに成功するためには、それに労力や時間を注ぎ込んだ方が有利になる。だから、そうした労力や時間を削がれてしまうようなケアワークは他の人に任せるに限る。

成功の秘訣は究極的にはこうなっちゃうんですね。

もちろん、例外的な人はいますけれど、全体的な傾向としてどうしてもそういうところはあるでしょう。


たとえば、ノーベル賞を受賞した本庶先生もこのように語ってます。

今も申し訳なく思っていることがある。2人の子どもが小学生となり、子育てが一段落した時のこと。彼女が突如、医学部に入り直し、医師になりたいと言い出したのだ。

家庭の主婦で終わりたくない、自分のポテンシャルを発揮できるような仕事に就きたい。そう思ったのだろう。

さあ、困った。私はその頃30代半ばで家庭を顧みずに毎日、研究に明け暮れていた。

「医師を目指すのは構わないが、自分の研究時間を割いてまでサポートはできないよ」と返答した。彼女はずいぶん悩んだみたいだが、結局、諦めた。

家庭での役割を一部分担するよりも自分の研究時間を優先することにこだわった態度がありありと出ています。

もちろん、本庶先生も「申し訳なく思っている」としていて、それが手放しで賞賛されるべき態度であると思ってはらっしゃらないことは間違いありません。

ただ、成功のためには、それはやむを得なかった。妻のために家庭のことを役割分担していたら研究成果は上がらなかった可能性がある。だからこそ支えてくれた家族に感謝をされているわけです。

本庶先生に限らずノーベル賞を受賞されるような方々が語るこのような「内助の功」的なエピソードは、毎度議論が湧き上がるところではあります。亭主関白的だとかなんだとか。まあ、これは最終的には家庭内(夫婦間)の問題であって、外野がどうこう言うのは無礼ではありましょう。

とはいえ、一般論として、確かにこれは本当に大きなジレンマなんですよね。

成功するためには、家事育児みたいなケアワークは避けて、自分の仕事にフルコミットする方が有利。

なら、夫婦間の役割分担という文脈のみならず、社会全体の役割分担として、ケアワークを避けて自分の仕事に邁進することを志向することにインセンティブがつくことになります。

さらに、社会において成功の金銭的価値や、あるいは非金銭的価値(名誉など)が高くなればなるほどケアワークの外注を求める傾向は強化されます。

「成功するためには」とか「勝つためには」みたいな煽り文句が並ぶ書店の自己啓発本コーナーを見ても、ますます成功することが万人の目的として優勢になりつつあることが感じられます。

実際、家庭内で「奥さん」に任せるんではなくたって、男女ともに保育士さんや介護士さん、ハウスキーパーさんにケアワークを外注的に任せることは当たり前になってきましたでしょ。

世の中がそうした成功志向社会であるならば、少子化になるのはそりゃ当然と言えば当然のことです。子どもが生まれない方が、成功に向けて注ぐ労力や時間がより多く確保できるのですから。

ただ一方で、実のところ、狂気のごとく何かに人生全てを注いだ人間によって、時々大変な発明や成果がだされ、なんだかんだ、みながその恩恵を受けているということも否定できないでしょう。ノーベル賞級の発見・発明だけでなく、たとえば「漫画の神様」とよばれる手塚治虫氏も超がつくほどのワーカホリックでしたからね。

ので、個々人の役割分担としても、社会全体としても、成功志向にどう向き合うべきかというのは、常にジレンマがある非常に悩ましい課題なんですね。

やっぱり「何かを成し遂げたい」という個人の気持ちも分かるし、誰かが何かに徹底してフルコミットした結果としてようやく出てくるとてつもない社会的偉業というのもありうる。世の中が成功志向になるのも分からないではないのです。

ただ、それが過分になりすぎていないかもまた考えねばならないところなのでしょう。

各自が「成功の秘訣」を探すことや実践することに躍起になる前に、そもそもそうした社会的成功を自分は本当に追い求めるべきなのか、社会のみんなが一斉に成功を求めていいものなのか、そこから問われるべきなのです。

皮肉なことですが、「全員がひたすら成功を志向する社会」というのは大失敗なんですね。成功がいかに個人や社会にとって重要であったとしても、それだけでは社会は維持できないし回らない。「成功だけの社会」は実に紛うことなき失敗作となります。集合の誤謬というやつです。

この成功志向の行き過ぎを緩和するためには、成功に伴う金銭的報酬や非金銭的報酬をいくらか減じることが必要になるでしょう。

けれども、成功志向の社会であればあるほど「成功の価値を減じる必要性」が理解されにくく、その実現は困難です。「成功はただただ素晴らしいものだ」と広く信じ込まれているので、むしろインセンティブを増強こそすれ、弱めるなんてもってのほかと思われる可能性があります。

ここで、一部の人間が空気を読まずにそれに反することを言ったりやったりすることは、個人にとっては成功にはつながらない非合理的な行為です。ですが、翻って「社会全体の失敗作化」を防ぐための重要な行為であると言えましょう。

個人の社会的失敗につながる言動が、社会全体にとっては成功につながる。

なんとも皮肉めいた話ですね。


うん。だんだん、「成功」の意味が分からなくなってゲシュタルト崩壊してきたところで、今日のところはおしまい。

いやはや、成功ってなんでしょうね。

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