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育児労働基準法

先日、ネーモさんが、家事育児オペレーションの過酷さについて語ってらっしゃいました。

江草もこないだ子ども連れでお出かけすることがあったんですが、朝出かける準備から、出先でのバタバタ、帰宅してお風呂入れて寝かしつけまで、約15時間ぐらいのノンストップアクション超大作。ずっと動きっぱなしでした。大げさでなく、本気で休憩時間がなかった感じです。

子どもは隙を見せた瞬間にどっかに走り去ってしまうので、本当目が離せないんですよね。だから、ずーっと気を張り詰めてるんです。途中、なんとかコーヒー飲んだり食事摂ったりはしたものの、子どもの介助が優先で、急いで口に流し込んだだけ。味わうも何もない。

これでも一応医師なのでヤバいブラックな働き方の経験もあるんですが、それでも休憩無しに子どもに連れ回される1日は「これはキチいな」と思わされるレベルの過酷さです。さすがに夜ようやく一息つけた時にはどっと疲れが出てました。(それでも深夜に執筆をするという書き物ジャンキーっぷりなのが江草もたいがいなのですが)


通常の労働であれば、労働基準法によって休憩時間の定めがあります。実際の現場でその規定が守られてるかどうかはさておき、一応法律で保護される対象になってるわけです。

ところが、育児家事に関しては、そのような休憩時間を定めてくれる法律はありません。雇用労働でないので当然ではあるのですが、自営業と同様に自己管理案件としての扱いなんですね。

ご存知の通り、法律上の休憩時間とは「即時対応することが免れてる状態」でないといけません。何してようがどこにいこうが基本的には自由です。労働の義務から一時的に綺麗さっぱり解放されて自由だからこそ休憩時間なわけですね。だから(悲しいことに世の労働現場でしばしば見られるような)電話番をさせられながらランチを食べるような状態は法律上は「休憩を与えた」とはみなされないわけです。

しかし、そういう法律上の意味での休憩時間に相当する時間が、育児を担っている親に存在するかと言えば、残念ながら存在しないと言うほかありません。

なぜなら、ほとんどの時間子どもから目が離せないですし、多少気が抜けるタイミングがあったとしても、何か起きればすぐに駆けつけて対応しないといけないので、職場での電話番と同様に子どもの保護管理義務から完全に解放されて自由になったとは言えません。だから、真に休憩時間を得ようとするならば、必ず誰か代わりに子どもの面倒を見る交代要員が必要になるわけです。

ただ、ご存知の通り、ワンオペ(一人)で育児を担ってる親御さんはかなり多くいます。この場合、代わりがいないので、休憩時間は必然的に皆無となります。

この点、自営業の方がまだマシの可能性があります。自身で営業時間を設定して休憩時間を確保することができますし、(仮にビジネス的に支障が出るとしても)疲れすぎてる時に電話やメールをあえて一時的に受けないということも理論上はできるでしょう。

ところが、育児は自営業と同じく自己管理案件かのように扱われていながら、その実、その働き方を規定しているのは本人でなく子どもなので、「ただいま休憩時間です。ご用件の方は何時以降におかけ直しください」みたいなことは許されません。

結局、育児においては休憩時間を保証する法律の保護もないし、休憩時間を定める権限もないし、こっそり勝手に休もうとするのさえ子どもの保護管理責任を放り出すという危険行為を覚悟しないと無理ということになります。

以前、埼玉県で子どものみでの留守番を禁ずる条例案が批判を浴びて取り下げられるという騒動がありました。実のところ、子どもの安全の重みを考えると、あっさり一蹴できるほど荒唐無稽な案ではなかったとは思いますが、もともと無理が来ていた育児現場にダメ押しのように親を追い詰める内容の条例案を放り込んでしまったのが大反発を招いたのだと思います。

それだけ、ほんとに育児に(法的水準に相当する)休憩時間は乏しいのです。

もちろん、世の労働現場もそんな理想通りに休憩が取れてることはないでしょう。ですが、一応は建前上でも法律の保護の裏付けがあるというのはやっぱり強力です。いざとなれば頼ることが不可能ではないのですから。

しかし、育児ではそんな法律の保護さえない。なんならより一層逃げ道を徹底的に塞ぐ条例案が出てくるぐらいです。しかも、ご家庭の環境にもよりますが、育児は極論24時間365日でさえありえます。

世の親御さんが「自分の時間が欲しい……」と嘆く声はよく聞かれますが、それもそのはずで、ずっと何時間も何十時間も、なんなら何日も連続勤務をしていたらそりゃ時々は休憩時間が欲しくなるのは当然なわけです。人間にとって最低限労働基準法で守られてるぐらいの休憩時間は本来はあるべきなのですから。

こう言うと育児をディスってるかのようですが、そんなことはないんです。もちろん、育児は楽しいしやりがいがあります。人生において他にないかけがえのない活動と思います。

ただ、いくらその仕事に社会的意義ややりがいがあろうとも過労が許されるわけではないのと同様に、育児だっていくら意義ややりがいがあっても過労が許されるわけではないでしょう。働き方改革の機運で前者が見直されつつあるからこそ、後者の育児現場での慢性的過労環境の改善の遅れが目立ってるように感じます。

育児にも労働基準法を制定せよとまでは言いませんが、その過酷さを見るなら労働基準法レベルの休憩や休みが取れるような支援はあって然るべきなんじゃないかなと思います。

なお、こういう話をすると「昔の親はそれでも頑張って育児してたんだ」的な意見も出てこようかと思います。実際、それはそうだったと思います。江草も母からほぼノイローゼになりかけながらワンオペで子どもを育て上げた昔話を聴きましたし。

ただ、昔そうしてたからといって必ずしもこれからもそうすべきとは言えないでしょう。例えば、働き方改革にしたって、大昔は「24時間働けますか」みたいな働き方が当たり前だったのを反省して今後の働き方を変えようとしてるわけですから。

育児だって同じで、昔過酷だったからといって、これからも過酷であるべきだということにはなりません。

むしろ、働き方改革なり、世の中が豊かになったなりで、育児以外の社会体験が改善されればされるほど、育児環境だってそれに追いつくように改善しないと誰もこの領域に入ってこなくなるでしょう。

確かに、授乳室も増えたし、育児グッズも便利になったし、産後ケア施設や保育園の整備も進みました。でも、おそらくそれでもなおそうした改善が世の中の他の部分に追いつけてない。だからこそ少子化が進んでる部分があるんじゃないかと、江草は懸念しているのです。

まあ、色々文句言っておきながら、実のところ育児中の好きな時に休憩時間をもらうというのは理論上難しそうな気はしますから、せめて休憩がない連続育児担当でも心身に疲れがたまらないように、子連れでもストレスが少なくなるような工夫や設備やサービスや施設があちこちでもっと増えてくれたらなあと思います。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。