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批判するだけなら誰でもできるという批判はよくあるけど、それを言うなら賛成するだけも誰でもできるし、そもそも自分も「批判だけすること」に対する批判だけしちゃってるじゃん。はい論破。

……というネタセリフを不意に思いつきまして。

これはこれで1つのネタとして完成してるので、Twitterに放流することも考えたのですが、これだけだとあまりにも口が悪くて下品な気もしましたので、補足的な解説をnoteに付記しておくことにしました。

言い回しはアレなのですが、江草が言いたい内容はそのままその通り、「批判だけするな」というよく聞く批判に対する批判です。


結局のところ、どちらもその賛否の立場の基盤となってる根拠や論理が妥当かどうかが大事であって、最終的な主張が批判だけになっているのか、賛成だけになっているのかは重要性ではないポイントと思うのです。

批判が妥当でない(根拠に乏しい、論理が誤ってる)のならそう言えばいいのであり、「批判だけ」の是非という似て非なる論点に話をすり替える必要はないはずです。

「根拠に乏しい批判」を指して「批判だけするな」と批判しているにしても、それならば「根拠に乏しい賛同」にも同様に厳しい目を向けなくてはフェアではないでしょう。


類例として「批判をするなら対案を出せ」というよく聞く批判もありますが、批判が妥当でないなら批判者本人を含め誰も対案を出す必要はないですし、批判が妥当なのであれば、対案を考えるのは批判者のみならずみんなの課題なのだからやっぱり批判者に押し付ける必要はないでしょう。

問題点を指摘する人に解決策を出すことを義務付けると、面倒だから言い出しっぺになりたくないと、誰も問題点を指摘しなくなっちゃいますよ。

だから、「批判だけ」というのも、それがあくまでその人なりに妥当性を追求しようとしてできるだけ丁寧になるように努めた批判であるならば、それだけで十分立派な仕事と思います。


「できるだけ丁寧に」という前提を忘れずに、みんなどんどん「批判だけ」していきましょう。(もちろん丁寧な賛同だけもOK)

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