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ベーシックインカムとはベーシックインディペンデンス

最近注目を集めるようになった二つの概念があります。

ベーシックインカム(Basic Income; BI)とFIRE(Financial Independence , Retire Early)です。

ベーシックインカムは誰もが無条件で受け取ることができる収入を指していて、FIREは金融資産や不動産などの資産形成による不労所得を基盤に自身の経済的独立を果たし仕事を早期に辞めてしまう(辞めてしまえる)ライフスタイルを指しています。

これらはあくまで別の概念ではありつつも、ある面では共通の想いを抱いているように思われます。


たとえば、推進派がよく挙げるベーシックインカムのメリットとして、ベーシックインカムによってある程度の収入保障がなされれば、嫌な仕事や辛い仕事を我慢して続けずに辞めるハードルが下がるというものがあります。極論、潤沢なベーシックインカムによって、働くこと自体を辞めてしまっても良いぞとする立場さえあります。

これ、対象者が無条件か否か(十分な不労所得の基になる個人的資産形成を果たしているかどうか)という点で重大な違いはあるものの、目指している「嫌な仕事からの解放(仕事の自由)」という側面では、ベーシックインカムの感覚はFIREに非常に近いものがあるわけです。

つまり、実はどちらも共通して「経済的独立」と「仕事の自由」を志向しているんですね。この点で見ると本当に瓜二つです。

これらのベーシックインカムとFIREという別々の概念が共に急速に支持を集めているところを見ると、すなわち昨今の人々が求めているのは「経済的独立」と「仕事の自由」であると言っても良いでしょう。

ベーシックインカム(BI)がFIREと部分的には同じ夢(経済的独立)を見ているのだとすると、BIはBasic IncomeではなくBasic Independenceと言い換えることもできそうです。

すなわち、BIやFIREを求める社会的ムーブメントは、事実上の独立戦争なんですね。独立の相手となる宗主が何かと言えば、それが「仕事」というわけです。

人々は仕事からの独立戦争を進めている。そこまで大げさにせず、まだ大っぴらに火蓋が切られてないと考えるとしても、パルチザン的な抵抗運動の段階ではありましょう。

ともかくも、BIとFIREが支持を集めてる現象からこうしたことが見えてくるわけです。


このBIとFIREの共通点を語るのが今日書きたかった主旨ではあったのですが、ついでなので相違点についても語っておきましょう。

BIとFIREの相違点として「対象者が十分な資産形成をした個人かどうか」という点があることを先ほど挙げました。

BIが無条件に万人に収入を保障するのに対し、FIREは資産形成をした者の収入を正当化しているという違いです。誰もが救われる(不労所得を得る)のか、一部の人間が救われる(不労所得を得る)のかという差異があります。

実はこの「誰もが救われる」「一部のみが救われる」の対立構図は、様々なところで立ち現れてくる「人類の永遠の議論」的なものであって、BIとFIREの対立に限らないんですね。

たとえば代表的な同様の構図は、仏教における「大乗仏教」と「上座部仏教」の対比に見ることができます。大乗仏教では「誰もが救われる」と説きますが、上座部仏教では「修行をした者だけが救われる」という考え方です。

極端な大乗仏教の立場である浄土真宗では「念仏唱えれば誰でも成仏できるぜ」ぐらいのノリですが、一方で上座部仏教では極論「日本人に生まれた時点で悟りを開くのは無理だから来世でもっといい場所に輪廻転生できるといいですね」と言う人もいるぐらい手厳しい選民意識があるそうです(このエピソードはPodcast番組「a scope」の仏教編で聴きました)。

すごくラフに言うと、「修行しなくてもOK派」と「修行しないとダメじゃろ派」に二分してるというわけです。

で、この構図がまさしくBIとFIREの対立にも当てはまって、「資産形成(修行)しなくてもOK派」と「資産形成(修行)しないとダメじゃろ派」の違いになるんですね。

大乗仏教と上座部仏教が歴史的に大きな二派閥に分かれていることからしてうかがえるように、この対立は思った以上に解消が難しいというか、人類レベルでずっと右往左往している悩ましい議論の構造なわけです。

「修行しないでOK」だと流石に甘すぎるし怠けそうだし、かといって「修行しないとダメじゃ」だとそもそもからして不利な人や結果的に救われない人が出てくるし。そんな感じで人類は悩み続けてるわけですね。


さらに言えば、こうした対立構造は、政治や経済の左派vs右派の対立にも見え隠れしています。

万人が平等に保護されるのを望み福祉の拡大(大きな政府)を志向する経済左派と、自助努力や自己責任を好み税や社会保険料の負担の縮小(小さな政府)を志向する経済右派の対立。

あるいは、全人類レベルで人権が保護されることを重要視し難民や移民の受け入れにも寛容な政治左派と、自国と同胞を愛する一方で排外的である政治右派の対立。

「他力本願」か「自助努力」か。「万人救済」か「選民のみの救済」か。

いつの時代にも止むことをしれない左派と右派の対立を見るにつけても、この対立構造がいかに人類永遠の難題であるかがお分かりいただけるかと思います。

だから、この相違点の根本的解消は残念ながら多分無理です。

でも、ともかくも両者の共通点を見ることで、どちらの立場にも依らず通底している「想い」みたいなものは見えてくるんじゃないかとは思います。

大乗仏教と上座部仏教が立場は違えど同じく「苦からの解放」を志向しているのと同様に、BIとFIREは確かに立場に違いはあれど、その共通の志として「経済的独立」と「仕事の自由」があるわけです。

なんなら、自身で修行を経て仏陀となった者が衆生を導く役回りをするという仏教の考え方を踏まえると、自力FIREした者たちが大衆を救うためのBIを布教するというやり方もありでしょう。



……というわけで、こんな感じでBIやFIREを見てみるとなかなか面白いんじゃないかなー、というのが今日のお話でした。

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