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「読む本」に人となりが出てしまう

自分の中で連続読書感想文執筆のトレンドも一段落したので、今日はちょっと「読書」をテーマに雑談でも。


噂に聞く話では、採用面接で「どんな本を読むのか」と尋ねるのはタブーなんだとか。なんでも「好んで読む本」にはその人の価値観や信仰、信条が如実に表れすぎるために、思想による採用差別につながるかららしいです。

なるほど、確かにそういうところはあるような気がします。

たとえば、江草も幾人か読書好きと思われる方々をフォローさせていただいているのですが、ほんと読む本って人によって千差万別なのですよね。
もちろん「面白かった」とオススメされていた本を読んでみて実際面白かった経験は少なくありません。そういう意味では好みが全く違うということはないでしょう。ただ、他者から紹介されていなかったらそういった本を本屋で自分の意思で手に取ることはなかっただろうと思うのです。それなりに問題意識や価値観が似てそうな方であっても「自然と選ぶ本」がまるで違う。「どんな本を読むか」「どんな本を好むか」にはその人の人となりが鋭敏に出てしまうというのは真実味がある話です。

となると、江草をはじめ諸々の読書家のみなさんが、「この本読んだよ」と読書感想文をネット上にガンガン発信してしまってるというのはなかなか大胆なことをやってるとも言えますね。
本を紹介しているようでいて、その実「自分はこんな人間なんですよ」とあけっぴろげにアピールしてるのに等しい行為をしちゃってるというか。精神的全裸。

ひえー、急に恥ずかしくなってきました。

ただまあ、それぞれの人がそれぞれの個性をそれぞれの自発的な自由意志によって発信する社会というのは個人的には好きな空気感です。その空気の醸成に資することができるなら、恥ずかしくとも思い切って発信するやりがいはあると言えましょう。

しかし、本に人となりが出るということであれば、たとえばプロフィール記事を書く場合にも「好きな本」を羅列しておけば済むとも言えそうですね。江草はあんまり自己紹介は得意でない性格なのですが「好きな本」を書くのならできそうな気がします。あるいは「尊敬する人」まで合わせて書いたらもう精神的には全裸はおろか、CTスキャンで内臓まで見えてるレベルになれそうです。いっそそこまで行ききったほうが恥ずかしくないかもしれない。

ま、そういう副次的な要素も含めて、読書ってほんと面白いですね(無理やりなまとめ)。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。