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「育休中は自己研鑽!」に潜むサラリーマンの悲哀と、育児文化改革の芽

昨日のこれの続きです。

育休中に自己研鑽や副業をしようとする人(特に男性)が出てくる理由として、パピートラック(マミートラック)問題を始めとした、キャリアへの不安があるのではないかという話をしました。

今日はそれとはまた別の視点でこの現象の背景を考えてみます。


多くのサラリーマンにとって育休は初めての自営体験

育休はサラリーマンのための制度です。
サラリーマンは雇われですので、上司の指示や管理のもとで働いてます。
その分やることはある程度決まってきますし責任も分散されますが、自分の判断で勝手な行動はできないわけです。

一方で、育休では自分やパートナーと一緒に自分たちで考え行動しなくてはなりません。そこに指示を出す上司はいません。
やることを全て自分たちで考えないといけないし責任も重くなりますが、その分自主的に自分たちのやり方で活動できるという側面があります。

もっとも、サラリーマンと一言でいっても様々な業種、職種の方がいらっしゃいますので一概には言えません。ただ、多くのサラリーマンの方にとって育休は初めての自主独立的なマネジメントを許される期間にはなるでしょう。
多くのサラリーマンにとって、育休は被雇用者の立場では得られなかった初めての自営的な体験なのです。

こうした自営的な生活が向いてるかどうかは、それこそ人をかなり選ぶと思います。
もちろん、育児の大変さは生半可なものではないので、別に「楽ちんですよ」という話ではありません。
ただ、サラリーマンの雇われ的な働き方があまり性にあわず、実は自主的な働き方が向いている人にとっては大変でもとてもやりがいがある日々と言えます。

おむつの交換のタイミングはどうする、母乳かミルクか、寝る場所はどうする、どうやってお風呂に入れるか、どう洗濯物を回すか、どうやって互いの睡眠時間を確保するか――無数の自分の選択や戦略の結果がそのまま自分や大事な赤ちゃんにクリアーにフィードバックされてきます。
その結果を得て次にどうするかもまた全て自分の責任です。
こうした経験に飢えていた人にとっては、育休生活は大変に刺激的で新鮮な体験となるでしょう。


一定水準をクリアすれば「どこまでやるか」は各家庭の方針次第では

さて、自主的に活動ができるということは、時間の使い方も自分たち次第ということになります。
もちろん、極めて気まぐれで不規則に対応を迫ってくる赤ちゃんが相手ですから、何度も言うように楽勝ではありません。
ですが、それでも、ある程度育てやすい子であるなど一定の条件下において、自分たちの工夫と努力次第で時間を捻出することはできなくはないのです。

多少なりとも生まれた余力や時間も、全て子どものために費やすべきとの考え方もあるでしょう。
ただ、子どもの生育に支障がない範囲に限り、「どこまでやるか」は個々の家庭の方針次第と言えます。得られた時間を自分のためのリラックスや自己研鑽につなげようという発想もそれだけで責められるものではないでしょう。(副業に関しては育休制度や就業規則との兼ね合いもあるのでグレー感がありますが)
それがエスカレートしてパートナーや子どもに害を与えるのであれば問題ですが、そういうことがなく、ちゃんと頑張った結果の時間であれば、それは各自の自由に任せるべき時間と思います。


勤務時間に自己研鑽ができないせいで余計に育休中にしたくなる

サラリーマンとしての勤務時間中は、仮に多少暇があっても堂々と仕事と関係ないことをするのははばかられます。なんなら、時間的余裕があることそのものが罪とさえみなされます。そのため、頑張った結果として仕事に余裕ができたとしてもあえて忙しいフリをするという「ブルシット・ジョブしぐさ」が蔓延しています。
こうした背景のために、多くのサラリーマンは勤務時間中に堂々と自己研鑽ができない状態におかれています。

なお、医師についても、働き方改革の余波で、医局に居る時間は「自己研鑽時間」とみなして労働時間に算定しないという方策を採る施設まで出てきたということで、勤務時間中の「自己研鑽つぶし」がいよいよ過激化してきています。

明らかに職務に関係あると証明できない限り、もはや勤務時間中の自己研鑽は罪なのです。

しかし、育休期間中であれば自分たち自身が自分の管理者なので、そういう「ブルシット・ジョブ」的抑圧がかかりません。
つまり、自分の工夫と努力で勝ち得た「自己研鑽時間」は、勤務中では決して堂々と掲げることができなかった初めての喜びの果実なのです。

だから、きっと、それがうれしくてうれしすぎて、勢い余って「育休で自己研鑽!」とはしゃいでしまう。
この発言の背景にはそんな背景があるのではと江草は思うのです。

もちろん、何度も言う通り、これを不謹慎と思われる気持ちはもっともです。
ただ、ここに潜むサラリーマンの悲哀もくみ取っていただければ、その味わいも変わってくるのではと思うのです。


空気を読まない発言だからこそ女性の長年の抑圧を取り除くチャンスにもなりうる

そして、昨日も申し上げた通り、これは男性だけの問題というわけではありません。
むしろ女性の方が長く深い抑圧の歴史があると言えます。
「自分が母親である」という理由から育児へのフルコミットが暗黙の前提となり、勤務中はおろか自宅に居る時でさえ「自己研鑽しよう」などと言えるはずもなかったわけですから。

そうした歴史がない、「母親は育児に全てを捧げるべき」という暗黙の抑圧を受けたことがない男性たちだからこそ、育児に関してある意味「空気を読まない発言」ができるわけです。

これに怒るな、許せとは申しません。
ただ、こうした「新参者の空気を読まない発言」だからこそ、今までの理不尽な構造的問題を洗い出す風にもなりえると思うのです。

「育児中にだって自己研鑽したい」そう男性が思っているなら、女性の方々だってずっと心に抱いていたはずなのではないでしょうか。
ただ、それが言えない雰囲気だっただけで。
そう感じることさえ罪だと思わされていただけで。

だから、これを奇貨として、女性にとっての育児と仕事、そして自己研鑽のあり方の空気も変えていくことにつなげていくのはいかがでしょうか。

空気を読まない人が出てきたなら、それは空気を壊すチャンスでもあるのです。


大事なのはパートナーとの対等な話し合いと育児が本分であるという自覚

とはいえ、闇雲に育休中に自己研鑽や副業をすることを擁護してると思われるのも本意ではありませんので、最後に、育休中に自己研鑽等をするにあたって注意した方がいいと思う点を述べてみます。


「育休で自己研鑽!」とか「育休で副業!」というのがなぜ批判されるかと言うと、パートナーにしわ寄せが言っていたり、育児をほったらかしにしてるのではないかという懸念があるからと思います。

いかにキャリアに不安があったり、自分で捻出できた時間がうれしかったとしても、自己研鑽や副業ばかりを喧伝するのは、そういった疑念を持たれても仕方のないことです。
だから、江草も、育休中の自己研鑽や副業を強調する発信は好ましく思っていません。

とはいえ、育休中の自己研鑽などを無下に禁止するのも反対です。
男女問わず、人はどういった環境、条件下においても、本人の自由意思で動ける範囲が残されるべきだと思うので。

それに、今や人生100年時代と言われ生きる時間が長くなったにもかかわらず、世の変化や知識の進歩はますます激しくなっています。そんな中、時代とともに歩むために、自己研鑽は老若男女常に必要な活動だと思っています。育児中でもサラリーマンでも、誰もが自己研鑽する機会を確保されるべきというのが江草の考えです。


さて、自己研鑽、あるいは副業をするにしても、大事なのはまずパートナーとの対等な話し合いになるでしょう。
江草も育休期間中は、妻と話し合って平等に少しずつですがお互いの自由時間を確保するようにしていました。別に「自己研鑽!副業!」というわけではなかったですが(読書が多かったかな?)、やっぱり育児を頑張る上でリフレッシュするための不可欠な時間であったと思います。

そしてもちろん、もうひとつ大事なのは子どもの安全と健全な生育環境の確保でしょう。
こればかりは、各自の心がけや価値観次第であり、客観的な基準が設けにくいところですが、自分たちの自由時間を確保することばかりにこだわって、子どもへ愛情を注ぐことやケアがないがしろになってないかは、江草も常々自問自答するようにはしていたつもりです。
やっぱり育休中は育児が本分だということを忘れてはなりません。

とはいえ「育休中は育児!」だけではないのも理解します。
でも、せめてこの「育休中は育児!」のスローガンを「育休中は自己研鑽!」や「育休中に副業!」よりは前に出しておきたいですね。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。