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夏の日(その7)

初めての方は必ずその1からお読みください。


1984年9月9日の夜は集中豪雨だった。


部屋でMへの手紙を書いていた私のところへ、突然Mからの電話があった。Kとちょっとしたトラブルがあったということで、それでMはかなり落ち込んでいた。電話の向こうで彼女は泣きだした。そして、「今すぐ、逢いに来て……」と言った。時間はもう22:00だった。私は躊躇せず、クルマを発進させた。クルマの中ではオフコースの「夏の日」が、エンドレスで鳴り響いていた。


「夏の日」の歌詞にはこんなフレーズがある。


どうしても いまこれから あの海へ連れていって

やがて空は白く明けてゆく 

きみの鼓動が 波のように ぼくの胸に寄せてくる




 家から阪神高速の入口までの数個の信号は全部無視して、そのまま一気に突っ走った。阪神・名神高速ではほとんどアクセルを床まで踏みつけ、150キロオーバーですっ飛ばした。豪雨で河のようになっている道路を、スリップしながら泳ぐように暴走した。パルサーEXAが165/70というプアーな細いタイヤだったことも幸いして、水面を切り裂くように(?)突っ走れたのである。





 堀川丸太町に着いたのは、22:40だった。一般道路を含む80キロの道のりをわずか40分足らずで駆け抜けた。平均時速120km、まさに命がけだった。自分が死ななかったのはまさに僥倖でしかない。




Mは雨の中、歩道に立ち尽くして私を待っていた。傘なんかで防げる雨ではなかった。明け方近くまでクルマの中でMと一緒に過ごした私が得たものはMのワンピースのボタンをはずして、直接胸に触れることができたという大収穫だった。




私がその日の手の感触をいつまでも覚えていたことはいうまでもない。
 
(〜その8に続く)


モノ書きになることを目指して40年・・・・ いつのまにか老人と呼ばれるようになってしまいました。