冬の蠅の牛乳壜 続き

じゃあなんで、牛乳壜の牛乳は最初から空じゃなく、入っている状態なんだろう。
そして女中が下げていく時には、なぜ壜は空になっているんだろう。
もちろん飲んで空になってはいるんだろうけど、何か意味があるのか。

水が生命が生まれる場所なら、
最初水がいっぱいなのは、そこから生まれるから。

でもそこから蠅が出てくるわけではなくて、蠅は途中から壜の中に入っていく。

そういえば空になっている、と思い込んでいたけど、本当に空になっているのだろうか。
「私」は「飲みっ放し」の牛乳壜を置いておき、そこに蝿が落ちていく。
そして「そのまま女中が下げてゆく」。
なら、最初は牛乳が入っている状態で、まだ残っている状態で蝿が入って、その残ったまま、牛乳壜はなくなる、のか。

「私」が飲むことで壜に牛乳の膜ができ、雲ができる。空ができる。
空白ができることで、蝿が落ちたり登ったりする大地ができる。

蝿にとっての世界を表しているのなら、蝿が最初からそこにいないと変な感じがする。
生まれる場所・世界、というより、還る場所、なのか。

じゃあなんで、牛乳壜の牛乳は最初から空じゃなく、入っている状態なんだろう。
そして女中が下げていく時には、なぜ壜は空になっているんだろう。

ではなく、

最初から空じゃない理由。
そして、中身が減るとはいえ、空にならずに下げられる理由。

「私」が蝿にとっての還る場所を作っていることを表しているなら、
それは死神みたいだなとふと思った。
蠅にとっては関係ない、何か大きな存在が、蠅にとって最期の世界を作り出している。
蠅が何をどうしようと、牛乳壜の中の牛乳の量はコントロールすることができない。

生かす条件は牛乳壜でいうと「私」が全部飲み干して空にすること、殺す条件は「私」が飲みかけで放置すること。
それは「私」の「きまぐれ」で決まる。

物語の最後に蠅は死んでしまうが、そのことについて「私」は、

私はそのことにしばらく憂鬱を感じた。それは私が彼らの死を傷んだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまうきまぐれな条件があるような気がしたからであった。私はそいつの幅広い背を見たように思った。

と語っている。

「私」は「きまぐれな条件」を、「そいつ」と擬人化している。


その「そいつ」が、蠅にとっては「私」であること。
そして牛乳壜がいっぱいだったり残っていたりすることで、その生き死にの条件が「きまぐれ」であること。

それを牛乳壜(と中の牛乳の量)で表そうとしたのかなと思った。

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