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出産の覚書 当日編

 予定日をあと1週間ほどに控えた健診の日、医者からはおそらく予定日は超えるので予定日の週を超えたら、入院して促進剤などを飲んでいくことになるだろうと伝えられた。初産はほとんど予定日より遅くなることがほとんどだと夫も周囲から聞いていたらしく、そんなものだろうと思って過ごしていた。あんまり遅れてもなぁ、という気持ちもあったし、これからしばらく外食もできないだろうからと、ジンクスの意味も含め焼肉を食べに行った。美味しく食べて、ゆっくりお風呂に入り、寝入ったその早朝、破水することになるとはその時は思ってもいなかった。

 妊娠後期に入る頃には、夜間に一度はお手洗いに行くことが習慣付いていた。水分はしっかり摂らなければならないが、膀胱は子宮によって圧迫され、あまり尿を溜められないためである。その日の明け方も、尿意を覚え、お手洗いに向かった。その時に、軽く、それこそ10センチにも満たない尻餅をついた。着いた場所も布団の上で自分としてはなんの問題もない、といった気持ちだった。しかし、お手洗いを済ませ、横になったところ、尿漏れを感じた。それも、全く自分では制御できないような尿漏れで、なんとなく、破水かもしれない、と感じた。尻餅が原因か否かはわからないが、とりあえず、産院に電話したところ、とりあえず病院に来るように言われたので、パンツタイプの生理用ナプキンをつけて、夫と共にタクシーで産院に向かった。入院セットは1月ほど前から準備していたため慌てることはなかった。早め早めの準備は大切である。

 産院に向かい、ベットで助産師さんに確認してもらったところ、案の定破水していた。それこそ、検査するまでもなく破水だったようで、その日に健診があるからとほって置かずによかったと安堵した。そのまま流れるように入院となった。破水したからには、大体24時間以内には子供を産まなければならない。子宮穴はまだまだ出産には足りず、促進するための錠剤を3時間毎に飲むことになった。

 促進剤を飲み始めた直後の朝食は問題なく食事を楽しむことができ、痛みもそれほどではなかった。しかし、時間を追う毎に、腰にかなりの痛みが走るようになった。圧迫されるというか、力を押し付けられるような痛みで、段々と座っていることすら難しく、声を上げることを我慢することも困難になっていった。陣痛が、お腹の痛みだと認識していた自分にとって、この腰の痛みというのは予想外のものであった。また、陣痛が腰にくるタイプは少数派らしく、これが促進剤によってもたらされた陣痛なのかは微妙なところであったので、この尋常じゃない痛みが陣痛でないかもしれないと言われた時の絶望感は今まで味わったことのないようなものであった。

 また、そんな痛みがあっても、ご時世故、夫にそばにいてもらうことができないことも辛さを加速させた。夫が入ることが許されるのは分娩室で、陣痛の間もくることはむずかしい。病室から陣痛室に移り、1人痛みに耐えながら、それでもどうしても厳しい時にナースコールをして、助産師さんに腰をさすってもらうという時間を数時間過ごした。日付が変わる頃、おそらく明け方には生まれるだろうから、夫を呼んでも構わないという許可が出て、すぐに夫に連絡してきてもらった。この世の終わりのように泣き叫ぶ私の腰を夫はしっかりとさすってくれ、痛みのひいたタイミングで水を口に含ませてくれた。陣痛用の椅子に座り、何が何だかわからない痛みに耐えて、もう産ませてくれ、と思ったタイミングで、やっと分娩台に登る許可が出た。やっと、産んでいい、この痛みのタイミングで外に出していいんだ、と朦朧とした頭で分娩台に登った。そして、思いのほか、あっさりと子供は生まれてきた。分娩台に登ってから、20分もなかったのではないだろうか。

 子供が出てきて、少し清掃され、胸の辺りに置いてもらった時に最初に感じたのは、この子が中に入っていたのか、というよくわからない感動であった。次に、なんでこんな大きさのものが股から出てくることができるのだろうかという疑問であった。まぁ、出てきたものは出てきたものであるわけだから、出てくるものであることは確かなのだが、人類の不思議を感じたものである。あかちゃんらしい、おぎゃあおぎゃあという鳴き声を聞きながら、元気な子が生まれてきたと嬉しくなった。そして、私は母になったのだと強く感じた。

 出産後の処置を終え、夫と子どもと過ごす時間があった。夫のとても嬉しそうな顔が印象的で、産んでよかったな、と心から思えた。私は産むまでに、懸命に腰をさすってくれた夫に感謝を伝えて、夫は頑張って産んだ私にねぎらいの言葉をかけてくれた。この夫とであればしっかり育児もできるだろうと嬉しくなった。

 産後、不思議なことが一つあり、あんなに絶望したレベルで痛かった陣痛の具体的な痛みに感覚が記憶から消えてしまっているのだ。今だから、思い出せないわけではなく、出産後少し落ちついたときに、痛かったなぁ、でもどのくらい痛かったかと分析しようとした時にはもう痛みの記憶はなかった。これは、トラウマ防止のための脳の処理なのかどうかはわからない。私に刻まれたのは具体的な痛みの記憶ではなく、とてつもなく痛くて、腰が割れそうなほど出会ったという記憶だけである。ゆえに、もう2度と出産したくない、というような感情は生まれていないので、人体というものはうまくできていると思う。

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