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自分に見えているものは絶対か

 幼少期から大人のやる事や常識に疑問を抱いていたが、当初はすぐに文句を垂れるだけだった。  それがいつ頃からか、そこに何か自分の知らない真意が、その目的が、その者なりの正義やらがあるのではないかと思うようになった。同時に自分が持つ嫌悪感に疑いを持った。本当は自分が何も知らないだけなのではないかと。それからは常に周りを疑いつつ自分自身をも疑う日々であった。  そのうちに1つの尺度でしか物事を測れない私の価値観、正義感は崩壊した。正義がどうとか声高に叫ぶ人間が愚かに見

    • デジタルネイティブについて

      今は赤ちゃんもスマホを使っているそうだが、私は4歳ごろからPCに触れており、ほとんど教えられずにその使い方を習得した。本を読んだわけでもない。ただ気の赴くままにクリックしまくった末に自分の予想した動作をさせることができ、そのような経験を何度も積み、それによって得た膨大なパターン記憶によって、今ではある程度自分の思うように操作できているのである。 かなりいい加減なように思えるが、これこそが試行錯誤なのだと思う。そしてこれは母語習得の過程と似ている。理解するのではなく感覚が身

    自分に見えているものは絶対か