愛犬のこと、マロンのこと、

「一緒にいろんな景色を見よう。一緒に旅をして、いろんな空気を吸って、いろんなことを考えて、いろんなことを思おう。約束だよ。一緒に、
ずっと、ずっと一緒に、」
悲しくて、寂しくて、あの瞳で見つめられたくて、涙が溢れて、溢れて、
根拠はない、けれど、この言葉はマロンにちゃんと、
ちゃんとマロンに伝わっているんだと、そう思えた。
そう、信じられる気がした。


僕がマロンに出会ったのは、小学校3年生の時だった。
高速道路で捨てられ何とか生き延びているところを、
従兄弟の家族が運よく見つけ譲り受けた、雑種の子犬、
焦茶色の毛をして、真ん丸で輝く目をしたその子に、
僕は「マロン」と名前を付けた。

飼い始めたマロンはとても元気がよくて、おてんばで、
しょっちゅう家の物を、壁を、箪笥の取っ手を噛んでは怒られて、
古い靴下や買ってきた玩具でよく引っ張り合いをして遊んだ。
お風呂から濡れたまま逃げ出してきたり、とにかくやんちゃで、
そんな日々がとても愛おしかった。

でもしばらくして僕は学校でいじめられるようになり、両親は不仲になり、
やがて僕はいじめられっ子として精神的な余裕をなくし、両親は離婚した。
マロンにかまってあげられる時間も心の余裕もなくなって、
家の中ではなく外のガレージで飼っていくことを決めた。

しばらくして、マロンの餌や散歩は、祖父がやってくれるようになった。
それでも時々、僕は一緒に散歩に行ったりした。
足に飛びついて喜んでくれるマロンを見ると、元気が湧いてきた。
一緒に草原に行ったり、山に入ったり、公園に行ったりもした。
時々かけっこ競争なんかもやって、僕が最初は負けっぱなしで、
逆上がりの練習についてきてくれたこともあったっけ。
マロンの傍にいると、心が温かかくなった。

しばらく時間が経った。
僕は学校で自分の居場所が持てるようになって、
次第にマロンと話したり、マロンと行動を共にすることが少なくなった。
かけっこ競争では、いつの間にか僕が勝てるようになっていた。
心なしかマロンの体力が落ちてきているのかも、そんな予感が頭を過ぎった
気のせいか、そう思う日々が数年続いた。

またしばらく時間が経った。
マロンは明らかに体力が落ちてきて、
以前のように一緒に遊ぶことは無くなっていた。
母と相談して、冬の寒い時期は暖房をつけた部屋に入れてあげて、
布団も買って、美味しいご飯も買ってあげた。
マロンは喜んでそれを食べてくれた。
母と二人で笑いあって、次は何にしよう、なんて相談をした。
このまま元気でいてくれたらいいな、そう思った。

季節が巡って、夏になった。
ある日突然、マロンはいつものようにご飯を食べなくなった。
でも少しづつあげると食べたし、散歩にも行っていたので、
家にあげてあげたりしながら様子を見ることにした。

でもある日から、マロンは自分の力で立ち上がることができなくなった。
試行錯誤して、いろんなものをあげたり、家の中に入れてあげたりした。
けれどなかなか体調は戻らなくて、マロンはよく鳴くようになった。
寝返りが自分で打てず、水を飲むこともトイレをすることも、
自力ではできなくなってしまったようだった。
ほんの一か月前まで一緒に散歩にも行っていたのに、それは突然だった。
熱中症のようなものかもしれないと、
ずっと家の中に入れて、様子を見てみることにした。

そんな日が数日続いたある日、マロンは黒い便を出した。
それは、マロンが天国に旅立ってしまう、3日前の事だった。

救急動物病院に行って、長くはありません、という言葉をかけられ、
延命治療の選択をし、わずかでも楽になるのならと点滴を打ってもらい、
僕らは家で看取るという選択をした。
つきっきりで看病し、次第にマロンが何をしたいのか、目や足の動きで分かるようになって、僕はそれを手伝い、時々注射器のようなもので流動食をあげて、水をあげて、隣で眠り、マロンが鳴いたら起きて、マロンが眠るまで傍で言葉をかけてあげたりした。

その日、朝起きるとマロンと目が合った。
その日はマロンがあまり鳴かず、数日来によく眠れた日だった。
僕を気遣ってくれたんだろうか、僕はマロンの頭をそっと撫でて、
おはよう、そう声をかけた。
そのおはよう、が、最後の、おはよう、になった。

息苦しそうにするマロンを病院に連れて行こうとした時、
マロンは玄関先で、家族に見守られながら、息を引き取った。

静かな一日だった。
家族全員が泣き腫らした顔で、泣き腫らしたままで、涙を流したままで、
まだ微かに熱を帯びたマロンの体を拭いて、葬儀の手続きをして、
次の日の葬儀のため買ってきた大量の氷で身体を冷やして、
手紙を一人ひとり書いて、一人ひとりお別れを済ませて、
次の日、僕と祖父で葬儀に行った。

一つひとつ、丁寧にお葬式の段取りは進んでいった。
丁寧に花をちりばめ、丁寧に食べ物やおやつを乗せ、
手紙を添えて、布をかけて、言葉をかけて、頭を撫でて、
僕は最後に、一方的にだけれど、約束をした。

「一緒にいろんな景色を見よう。一緒に旅をして、いろんな空気を吸って、いろんなことを考えて、いろんなことを思おう。約束だよ。一緒に、
ずっと、ずっと一緒に、」


全骨を納めた骨壺と遺影の写真の傍に、
これまでこの家で飼ってきた他の愛犬たちの写真が貼られたボードと、
小さなお地蔵さんを象ったお線香立て、そして綺麗な一輪挿しがある。


明日、マロンは四十九日を迎える。

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