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【短編】庸川姐妹、再会に遊ぶ

 汎州はんしゅう胡門こもん府、庸川ようせん区。幅広の川による水運で豊かな土地は人の流れも早く、栄える街独特の揉め事も多い。

 そうした揉め事を解決する街の顔役のひとつに、ふう家がある。あまたの食客を抱え、赴任してくる官吏よりも重んじられる一家である。

 その馮家の末娘である馮夏杏ふう・かきょうは、川沿いの森で木の幹を蹴って、人影を追っていた。

「返せえ!」

 数丈先の相手に大きな声を張り上げ、夏杏は、真新しい剣の鞘を握りしめた。

「私の焼き菓子だぞう!」

 空を蹴るように逃げる相手の手には、夏杏が大好きな、詩詩おばさんの焼き菓子が収まる朱塗りの岡持。ついさっきまで、夏杏の手にあったものだ。

 それを背後からかっ攫った相手は、白を基調とした、男性用の軽い旅装をしている。秋の森は色づいた木の葉が舞って視界も悪いうえ、笠と顔の下半分を覆う薄布のせいで、相手の詳しい顔かたちは分からない。

「待ちなさい……ったら!」

 馮家の食客達からも「身軽だ」と褒められる夏杏が全力で追いかけているのに、いまだに相手の笠からたなびく飾り布さえ掴めない。

「この!」

 何度目かになる伸ばした手は、また空を切る。相手の身のこなしは風に舞う柳の葉のように軽い。明らかに自分より格が上だった。相手が時折自分を振り返り、挑発的に目を細めるのも腹が立つ。まだ髪もあげていない年頃の夏杏をからかっているのだ。夏杏は唸った。見くびられる事は、親戚から持ち込まれる見合いの次に我慢ならない。

あどけない、勝気な瞳が燃えた。

「許さないからね……!」

 夏杏はついに「冷波れいは」を抜く。今年の誕生日に泣くほど欲しがり、根負けした父から贈られた自分だけの剣だ。よくしなる薄い刃は、思わぬ方向から相手の急所を切りつけられる。夏杏は突き込むと見せかけて巧みに手首を返して、曲芸のように切っ先で相手の首を狙った。

 ところが、相手は振り返ると持っていた岡持を突き出し、剣先を巻き付かせた。さらに、舞い落ちる木の葉のように回転しながら重心を落とし、開けた地面へ下降していく。

「わわ」

 それに振り回される前に夏杏は剣先を岡持からほどいて、枯葉の上に着地する。少し姿勢を崩した夏杏をあざ笑うように、白衣の盗人は息を漏らす。夏杏は地団駄を踏み、その勢いを蹴り足に乗せた。

「中身が!」

 怒鳴りながら夏杏は飛ぶような一歩で急襲し、冷波をしならせ、相手の背中に剣先を回した。桃色のスカートが花のように広がる。

「めちゃくちゃになっちゃう!」

 しかし、相手も一歩踏み込んで間合いを崩してくる。その上、岡持を背中に回して剣先をはじいた。

「ひどい!」

 至近距離で、夏杏の粗削りな剣と、相手の岡持が何合もぶつかる。相手は夏杏の動きが分かっているように避け続けた。

「なんだよう、コソ泥のくせに!」

 どうしてこんな理不尽に合うのか。怒りのあまり、教わった体捌きが一瞬崩れてしまった。それが偶然、相手の顔を隠す薄布をはぎ取る剣先の動きに変わる。白衣の相手はうつむいて、笠で顔を隠した。

 その隙に合わせ、声をあげ踏み込む夏杏。放たれた矢のように真っすぐ。

 ところが、その飛び込みを待っていたように、相手が後へ飛びながら、またしても左手で掲げた岡持の持ち手で冷波をの切っ先を巻き込んだ。

 相手が岡持をグイと引く。体が前のめりに引っ張られる夏杏の肩めがけ、右の掌が打ち込まれた。冷波が手から離れる。

「ぎゃっ」

 おおよそ未婚の女子とは思えない悲鳴を上げ、夏杏は数丈後ろに吹き飛ばされた。片足を真後ろに振り上げ、背中から木の幹へ衝突するのを止める。夏杏が顔を上げると、相手は笠を脱いで大きな木の枝に腰かけていた。

「まだまだ甘いなあ、小夏しょうか

霄姐おねえちゃん!」

 幹にもたれかかって焼き菓子を頬張るのは、夏杏のすぐ上の姉、霄霞しょうかだった。

「うん。二姐おねえちゃんだぞ。帰ってきた」

【終わり】

※これはTwitterでお題を貰って書いた小説のnote再録です