ゴジラについて語る第1回

私実はゴジラ映画が大好きなのです。 某ブログで書いていて…ここに書き写して続けて書きたいと思ったので書いていきます。1回目は「ゴジラの立ち位置の変化」について述べていきたいと思います。今回は昭和の映画作品を主に取り上げます。
 
ゴジラといえば「人間が行った水爆実験の結果うまれた怪獣・災厄」というイメージが湧きます。勿論1954年版ではそのように描かれてました。だからゴジラは人間が生み出したといえ、憎まれ倒す必要がある存在として描かれてました。

1960年代中期〜1970年代のゴジラ作品では
ゴジラは子どもたちの味方・人類の味方として描かれてることが多くなりました。代わりに人類の敵は「外から来たもの」となっていました。キングギドラやブラックホール第三惑星人がその例です。他にもガイガンなどがいましたね…
そんな立ち位置を見た時すこし面白いなと思うのが1971年公開の「ゴジラvsヘドラ」です。
ゴジラは人類が行った活動の結果生み出されました。同じく人類が行った経済活動の結果生み出された存在がヘドラです。この映画でヘドラはゴジラに倒される存在として現れました。逆にゴジラは人類の味方として描かれました。2者を比べて何が違うのか考えたくなりました。勿論子どもたちの存在も大きいと思います。ただ1番大きいのは「ヘドラは未知の存在で主人公やその周りの人々を無差別に攻撃していく」ということだと考えました。
1970年代ごろの作品ではゴジラは人類に守られ、島で暮らしている設定となることが多いです。そのことも関係してるのかなと考えました。あとはこの時代公害が問題になってましたね…
「管理できる存在かそれともコントロールさえ不可能な存在か…」なんかそうやって考えるとすごく奥が深いなと思いました。

次回は1980年以降の作品で立ち位置を考えていきたいです。


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