見出し画像

夏のイラスト5点による作品:制作を振り返る

 noteに記事を書くとき,大概は本文を書いてから見出し画像(イラスト・写真)を考えるでしょう。たとえば,旅の記事を書く場合も,いくつか撮った写真の中から,見出しにふさわしい(もしくはサイズなどから作りやすい)写真を選ぶ。そういった写真を持ち合わせない場合は,「みんなのフォトギャラリー」から選ぶことになるでしょう。私の場合,写真がなければ イラストAC からフリーのイラストをダウンロードし,サイズを調整して使っていました。フォトギャラリーを使ったのは,過去に1回くらいかな。私にとっては,これらは「やむをえない」処置です。
 ところが,一週間ほど前にこれを180度転換する事態が起きたんですね。(おおげさ)
 猫野サラさんの 夏の水彩イラスト5点。

このめちゃかわいいアイコンがご本人でないとしても (^^; ← 古いタイプの顔文字

「よかったらつかってくださいね。」にひかれました。
 というのも,その直前に,サトウカエデさんの「さよならのバックパックがくれたひと夏のこと」で,猫野サラさんのイラストが使われていたから。

これ,オーダー品。ぜいたくじゃないですか。サラさんといえば,漫画「実験」や,noterたちの猫耳イラストで,私にとっては「すごい」イラストレーターですよ。
私にはオーダーなんて無理。
と思った翌日に出たのが夏の水彩イラストですから,これを使わせてもらわない手はない。
そこでまず浮かんだのが金魚。

第一作 ふたりでわたあめを食べたとき

 なんといっても,夏祭りでの金魚すくい。グレープの「ほおずき」や,さだまさしの「線香花火」の夏祭りのイメージ。結果として展開はまったく違ったけど(どちらにも金魚すくいは出てこないし,二人は別れちゃってるし)。
 掌編で,事前のプロットなどほとんどなし。とにかく,金魚すくいの場面から書きはじめました。
名前は? 思いつかないから,note の始めの頃に,旅行記で使っていた,「クミ」と「あっくん」に。(安易)
クミは金魚すくい名人,からスタート。すると,あっくんは対照的に,ぜんぜんダメ。でも,ぜんぜんダメでも,金魚もらえましたよね(今はどうか知りません)
じゃあ,その金魚はどうなったかというと,たいてい死んでしまいました(経験)
そこで,どうせ死んじゃうんだから,すくった金魚は全部かえしちゃう。→ ではなぜ金魚すくい? → その時だけ童心に還る
となりました。
さて,どう締めるか。
夏祭りとなれば,わたあめでしょう。ということで,ラストへ。
ここで,いま連載中の(中学まででストップしている)「りんどうにて」のイメージがあって,幼なじみの二人の高校時代か大学時代に夏祭りに行く,というシーンを考えていたところなのです。これ,ちょっと変えて使おうかな。

第二作 硝子の鈴

つぎは風鈴,と思ったものの,掌編小説が思い浮かばす,詩の体裁になりました。できとしては100点満点の60点かな。着想が発展しないのであきらめました。

第三作 消えた花火を「捨てないで」と先生は言った

次はどれか,とながめていて,さだまさしの「線香花火」にはしたくないなあと思い,過去作の「花火が消えたときに」を生徒の視点から書くことに

「花火が消えたときに」の花火は線香花火ではないのだけど,それを線香花火にする,ということから,

 線香花火を選んだわけではない → くじでのこったのが線香花火 → じゃんけんで負けつづけたから → 負け続けの人生。ここで「やりなおしができるのが」につなげられる。「やり直し」とはちょっと違うけど,まあいいか → 今まで負けてばかり → 精神的ストレスでリストカット(実話に基づく)→ でも,助けてくれるひとがいなくちゃ。やっぱり母親 → 理解してくれる母も過去に同じ経験がある → というわけで,ラストへ。

と,ストーリーができました。それも,書きながらですが。
なお,「花火が消えたときに」は実話で,その時はライターだったのですが,やっぱりマッチだろう。風情としては。古い感覚かな → 「線香花火1本に風情かよ,と思う。」となりました。負け続けの人生,ちょっとすねた気持ちから,にっこりに変わるのもいいでしょう。
まあ,ラストがありきたりというか,ちょっと不出来ですが。

第四作 黒い種は生け垣まで飛んだ

 男女の話ではなく,「すいかとくれば種とばしだよなー。いまどき流行らないかもしれないけど」となった時点で,おじいさんとの飛ばしっこに決定。
 これも,「縁側で種の飛ばしっこ,自分はこども」から書きはじめて,書きながらストーリーが展開していく,という過程をたどりました。
「翔太」は思いつき。今風の名前にしました。
翔太はだんだんおとなになる。すると,「じいちゃん」は年を取って・・・ 亡くなってしまうのもお盆の時期だからいいか。最後に病室で種飛ばしをする。ちょっとだけ飛んで,でもじいちゃんは満足。というストーリー。
ここで,猫野サラさんがTwitterへのシェアで「短い距離に万感の想いがこもっていた」とコメントしてくださいました。まさに 「10cm」 にこめたところなので,読み取ってくれたことに感謝。

第五作 氷室の氷は糺ノ森に

 ここまで,イラスト5点を見ていて,浮かんだ順に書いてきたのだけど,困ったのがかき氷。詩も,掌編のストーリーも浮かばない。つい先日,孫が来て,小國神社のことまち横丁でかき氷を食べたけど,これを若い二人が食べるというシチュエーションもお話にならない。孫と,あるいはおじいちゃんとかき氷を食べる,というのもストーリーが浮かばない。
 今は豪華なかき氷が多いけど,昔は色つきのシロップをかけただけだったよなあ。友人は,それを喜んで食べていたけど。色つきのシロップをかけただけの氷を二人で食べる・・・ おもしろくない。フルーツも一杯のかき氷を二人で食べる・・・ おもしろくない。

 そこまできて,思い出したのが,さるやで食べた氷。「氷室の」という氷だったよなあ。たくさん入ってた。ひとりで食べたけど,これを二人で食べることにしよう。二人で食べるなら,ペアスプーンがあるといいな(創作) 
 会話ですすめるので,呼びかけるには名前が必要。
京都 → 紫野 → ちょっと変えて紫乃 今風の名前じゃないけど。
そのあとの,秀一やら,名字の宮脇やらはその場での思いつきなので,いわれはなし。
 原稿はテキストエディタで書いて,note にコピペするのが私の流儀。前に食べたのなんだっけなあ。さるやのWebページを見て,メニューから抹茶小豆を選択。この時点で,サラさんのイラストは確認していないのですよ。あ,イラストも抹茶小豆だ,と思ったのはできあがってからのこと。
 ペアスプーンを使って二人で食べる。そのあとは? 考えていなかったけれど,ここから登場人物が自分たちで動き出す。こういうの,よくある話だけどほんと。プロットなしで書きはじめた掌編が最後は2000字を越えました。

 1年後。紫乃は亡くなっている。氷を頼んだ女性が「多い」と言って,二人で食べることになる。そのあと,言社へ行くことになり・・・ 書きながら話が進む。言社へ行くことになって,過去作の「下鴨神社の謎」とつながる。これも変奏曲にしよう。
 縁結びの神への参拝は恋人どうしで行っても意味がない,という話はここで思いついての創作。
 亡くなったひとに似ているひとが現れる,というのは,これまたさだまさしの「あの人に似ている」みたいだけど,容貌については書かず。似ている(同じ)なのは姓とヴァイオリンだけ。

 ということで書いた掌編だけど,マリナ油森さんのTwitterでのシェアのコメントを見て,不思議な気持ちになりました。

というわけで,これが100点満点の95点。あと5点,まだちょっと足りないね。

 以上,打ち明け話でした。

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と,ここまで書いたところで,夏のイラスト追加3点があがりました。

女性のイラストの方は無理なので,アイスキャンデー,ビーチボール,水まんじゅうはなにか書きたいと思うのだけど,今は浮かばないので,そのうち。