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カザルス 鳥の歌 映像は感動を呼び覚ますのか

音楽はその字の通り「音を楽しむ」なのだろうか。
CDでもFMでもネットラジオでも,音が聞ければ十分だろうか。
いや,生演奏を見たことがある人は,そうではない,というだろう。
演奏している姿を見ることが,聴きかたにも影響するのだ。
理由はよくわからない。


その日,私は大学の生協で買い物をして出ようとしていた。
ふと,テレビが目に入った。
カザルスだ。

カザルスの名前は知っていたが,演奏を聴いたことはなかったし,あったとしても覚えていないくらいだ。
テレビの画面の中で,カザルスが言う。
「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は、ピース、ピースと鳴くのです」と字幕が流れる。
おぼつかない足取りで椅子に座り演奏を始めた。
『鳥の歌』である。

その時の記憶。
チェロが歌いはじめると,不覚にも涙があふれた。
なぜ?!
名前しかきいたことのない演奏家の,はじめてきく曲なのに。

カザルスの鳥の歌のLPを買った。
ホワイトハウスコンサートでのコンサートだ。
国連とホワイトハウスで,舞台も日も違うことに気づかなかった。
ただ,ちょっと違う・・・ という感触だけ残った。

それから何年も過ぎた。

ふと思い出して,YouTubeで探してみた。
あった。国連での演奏。
スピーチに続いて演奏が始まる。
ヴァイオリンの前奏。
アフウタクトでチェロが出る。ノンヴィブラート。
そう。これだ。
わずか1音のアフウタクト。
それだけで胸にこみあげたのだ。

高齢ゆえところどころは弓が揺れる。
しかし,そんなものはどうでもよかった。
「ピース,ピース」と人々に訴えかける姿と音。
あの日,演奏が終わると,私は周囲に気づかれないように涙をぬぐってそこを出たのだった。

ああ,しかし・・・ 
このビデオは途中で終わっている・・・・

ほかのものを探してみた。

演奏はほぼ最後まで入っているが,スピーチと拍手が合成されて編集されてしまっている。
ニコニコ動画にもあった。演奏は最後まで入っている。

しかし,違う。
ここでわかった。何か違う訳が。
絵が動かないのだ。
アフウタクトの入りが,音しか聞こえない。
アップのボウイングでアフウタクトから出てくる音と
ただの写真から出てくる音がなんと違うものか。
アップからダウンに移るときのほんのわずかな間。
それが音になって見える。

あの日,まさに映像を見ながら聴いていたのだった。
ラジオだったら,おそらく涙を流すことはなかっただろう。

演奏者の心がディスプレイを通してこちらに出てくる,などと,ホラー映画のような話はしたくないのだが,しかし,事実だ。
これをもし目の前で,生の姿での演奏を見ていたとするとどうだったか。
たぶん,涙だけではすまなかっただろう。