見出し画像

このnoteの片隅で : 令和2年元旦

 大晦日の夜,紅白歌合戦が終わると「ゆく年くる年」がはじまる。
永平寺や知恩院の鐘の音がテレビから流れてくる。
遠くから地元の寺の鐘の音も聞こえる。
タイムスタンプ 0:00 を取るために待機していた人たちが,時計の針が12を指した瞬間に一斉に あけおめ と書く。
今年の一番乗りは誰か。
STSの喫茶室ではそんなバトルが毎年繰り返されていた。

 日本でパソコン通信のサービスが始まってまもなくできた,SIG-STS。Student Teacher Software として,教育とソフトウェアの情報交換をする場には,小学校から大学までの先生に加え,学校事務の人,出版社の人,ソフトウェア会社の人,高校生,いろいろな人が集まっていた。
 インターネットが普及し,パソコン通信の時代は終わりを告げる。SIG-STS もインターネット上に移行。電子掲示板としてのスタイルはそのままに変わらず,それからすでに19年が過ぎた。
 インターネットの利用は,パソコンからケータイへ,そして,スマホに移り,ブログ,SNSでコミュニケーションの形も変わった。駅から伝言板が姿を消したように,ネット上の電子掲示板はほとんど姿を消しつつある。

 令和元年の大晦日も,私は管理人としてSTSの鍵を開け,喫茶室を開いた。来客は5月以降途絶えたままだ。
 かつての客,STSのメンバーは何人かがFacebookに移って交流を続けている。本名で出ているが,コメントでは当時のままのハンドルネームが飛び交う。
 紅白歌合戦のあとのゆく年くる年を見て午前零時を迎える,という習慣は,私自身,数年前から途絶えている。紅白は見ないし,11時前には布団に入っている。それまでの間,喫茶室には誰も来ない。翌朝,つまり元旦に数名が挨拶をしにやって来るだけだ。数名? いや,2018年は2人,2019年は3人だけだった。
 結局この夜も,タイムスタンプ 0:00 を取ることなく朝を迎えた。

 令和2年元旦はよく晴れている。
杯を回してほんの一口だけお屠蘇を飲み,おせち料理に箸をつける,というわが家の習慣も今はない。普段の納豆と梅干し・海苔・ハムエッグの朝食がおせちに変わっただけの静かな朝だ。息子家族が京都から帰省しているので普段の倍の人数になっているし,それだけ笑い声も多いのだけど,外は静か。凧揚げをするこどもの声も消えて久しい。
 朝食を終えて,喫茶室に行ってみると,昨夜ひとりだけ来て書いていた。昨夜は,これから来るかもしれない人のために入口に門松を用意しておいたが,他に何人がこの門松を見ただろうか。
 Facebookに移る。早くも あけましておめでとう のメッセージが載っている。かつてのSTSメンバーの他に,このコミュニティに存在する何人かの人たち。

 そして,note。
 令和元年の10月にこの街にやってきた。
人口2000万人の大都市。
それこそいろいろな人たちが住んでいて,私の気に入らない人ももちろんいる。まあ,その人がいる街には近づかないことだ。
 息子が住む界隈では,息子と同じくらいの年代の人たちが,まるで30年前のSTSのようにコミュニティを作っている。
 そこから少し離れたこの地区は,私の拙い文章に,毎回スキをつけてくれるやさしい人たちが住んでいる,ほんとに小さな地区だ。何人かは息子のコミュニティと掛け持ちの人もいる。
 ここで私はどう過ごすのか。
 思い返してみれば,現役時代,60人近い同僚に配っていた情報紙のコラム「珈琲の湯気」に,ここでいうスキをつけてくれる人がほんの数名いた。全員に感想を聞いたわけではない。「面白い。まず珈琲の湯気から読む」と自分から言ってくれる人が1割に満たない数名だったということだ。しかし,それが励みになっていたことは事実である。

 旅から帰ると,トリップアドバイザーに投稿する。寄ったカフェや観光地の評価。それに,何かしらのコメントをつけるのだが,「アドバイザー」という以上,何か役に立つ記事でなくては意味がない。他の人のコメントも見て,それらにはない内容を書くのだが,これが意外にある。多くの人は単なる感想だったりするからだ。細かい交通手段のこと,所要時間のこと,付近にカフェがあるかないかなど。
 読者は,役に立ったと思えば「役に立った」ボタンを押す。noteのスキのようなものだ。月に1回ほど,その結果が次のように通知されてくる。

画像1

 気になるのは,順位より打率だ。私は 40/70 だから5割7分で,前後の人よりいい。1位と2位は不明だが,とにかく「アドバイザー」なのだから,役に立ったかどうかが重要なのだ。

 では,note では?
やはり打率が気になる。初めのうちは3割程度だったが,ビューアーが増えるとともに打率は落ちた。まあ,当たり前のことだろう。

 さて,令和2年。ここまで毎日投稿を74日続けてきたが,まだネタは残っているのでもうしばらくは続けられるだろう。
 ネタがなくなったら?
 新しい地平が開かれるかもしれない。大晦日の夜に考えたテーマもある。ただし,1つの文章を書くためには,かなりの調査 ー 過去に読んだ文献を検索したり,Webを検索したり ー が必要と思われるから,毎日UPは難しそうだ。いい加減な記事を書かないために。
 しかし,まあ,そう肩ひじ張らず,この note の片隅で,やさしい人たちに見守られながら,そして私自身も,若い人たちが集うあの界隈を見守りながら,ひっそりと暮らすのもよいかもしれない。

 かつての友人たちはまだ誰もやってこない,この大都会の中の小さな街で。