見出し画像

[山小屋ガール」を読んでるところ

何で見たんだったかなー
Twitterかな
その1回目はスルーした
次に,noteで誰かのを読んでるときに出てきたので,リンクをたどってポチっとしたのが,

ふ〜ん,面白そう。
で,Amazonでポチッ

実は今まだ読んでる途中。
でも,面白くて,フォローした吉玉さんのほかのnoteの新しい記事が出たので,それ読んで,もう一度たどって上のnoteに行ったら,

②読んだ感想をSNSかnoteに書いていただけると嬉しい

と書いてあるじゃないですか。ハッシュタグ「 #山小屋ガール本 」をつければいいんだ。(1回目はちゃんと読んでない? というより,読んだ後で感想を書こうという気持ちがなかった)
それで,全部読んだら書こうと思ったけど,全部読む前に「書こう」というのが先走りして,今書いてるとこ。

 なんだろな,何かに似た雰囲気。
しばらくして思い出したのが,
「父・宮脇俊三が愛したレールの響きを追って」:宮脇灯子:JTBパブリッシング
そして,その「父」宮脇俊三の一連の本。

 1つの節が余り長くなくて,たとえば,電車で1駅くらいで読める。着いたから途中だけど,ということがない。(夢中になってるとあるけど)

 文体は若い人らしい用語の使い方で,ときどきフフッとなる。
たとえていえば,松本清張を読んでいて,その後内田康夫を読むみたいな。
それぞれのエピソードには笑えることもあればホロリとすることも。
電車の中で読んでいるときは,気付かれないようにするのだけど。

 「癒されない」日々 となっているのが,あれ? と思うけど,読んでみるとなるほど。
 そもそも,人はなんで「疲れ」「傷つく」のかって,やっぱり人間関係かな。
山小屋で出会ういろいろな人たちのエピソード満載なんだけど,それで,どうなったのかってのは,ネタバレになるので書かない。

『山小屋ガールの癒されない日々』発売にあたってのお願い が書かれてからもう半年。
いまさら遅い?
でも私がnote始めたのが40日前で,この本を知ったのが数日前なのだからしかたがない。

で,何が「書こう」と先走りしたのかというと,
これ,読んだ後どうするかなあ と思ったから。
私は,とっておきたい本のうち,でもかさばるし(本棚はすでに一杯)というときは,裁断してディジタル化する。
でも,他の人にも読ませたい,読んで欲しい,という場合は,図書館に寄付。
市の図書館でもいいけど,勤務している学校の図書館。
で,この本もたぶんそういう運命をたどると思われます。
勤務している学校の図書館なら,勤務している間はいつでも読み返せるし。

 note 書いている人なら,この本,みんな知っているのかなあ。
もし私のnoteを読んでいる人で,知らない人がいたら,はい,すすめます。まだ全部は読んでないけど。
知っている人には「そうでしょう,そうでしょう」と思ってもらうために,書いてます。

 それにしても,紙の本というのは,やはり雰囲気が変わるな,と思う。

も読んで,こっちが元になっているので,同じ話が載っているのだけど,紙の本だと縦書きだったり,行間が違ったりで,印象が変わるんだね。
 私が Apple Booksで出している「すべての子どもに計算力を」(無料)

なんかも,紙の本にしたらちょっと違う印象になるんだろうな。