文科省高等学校情報Ⅱ教員研修用教材の検討
2022年度入学生より適用される高校の学習指導要領では,情報Ⅰが必修科目で,情報Ⅱは選択科目となっている。ただでさえ理科や社会で時間が足りないといっている現在,選択科目とはいえ,情報Ⅱをカリキュラムに入れる余地はないと思っているのだが,皆無とは言えないだろう。現に,工学院大学附属中学校・高等学校の中野校長先生が,中野案と称して,情報Ⅱを選択科目としていれたカリキュラム案を複数出されている。
となると,すでにステージからは降りたとはいえ,文科省が出している情報Ⅱの教員研修用教材を検討してみたくなる。
この教材を読むのは初めてではないが,以前はざっと目を通しただけだった。情報Ⅰの研修用教材の方はいくつか問題点が見つかっている。あきらかな間違いもある。では,情報Ⅱはどうだろうか。
まずは第1章「情報社会の進展と情報技術」
学習1 情報社会の発達と社会や人への影響
「2 記憶装置やモニタ画面の高性能化・微細化」にこんな記述がある。
1980年代までに一般の人々の間で利用されていた, 当時マイコンと呼ばれ,今はパソコンと呼ばれている コンピュータでは,当時のハードディスクが高価で あったため,ソフトウェアのシステムプログラムやデータを複数枚のフロッピーディスクに格納させ,使いたいディスクをドライブに入れ替えて電源を入れ立ち上げ利用するような,その都度目的に合わせた専用のマシンとして利用されていた。また,そのソフトウェ アを十分に活用するためには,それぞれ独自の利用方法の習熟が必要となるような状況であった。
これは正確だろうか。筆者の記憶では,そのような場面はほとんどなかった。
まず,初期の段階では,OSがROMに焼き込まれているか,フロッピーディスクではなくカセットテープから読み込んで使うようになっていた。NECのPC8001 は前者であったし,SHARPのMZ80Bは後者。OSといってもユーザーはその上で動くBASIC言語を使ってプログラムを書いていた。今でいうアプリケーションはカセットテープで提供されていた。それを「システムプログラム」と呼ぶかどうかは疑問である。筆者はアセンブラでもプログラムを書いたが,BASICから使うようなものだったと記憶する。(ソースコードをプリントアウトしたものは1年ほど前に捨ててしまった)
そのころ(1981年ごろ)はフロッピーディスクドライブは30万円ほどしていて高価だったが,ほどなく価格が下がり,パソコン本体に搭載されるようになる。しかし,「使いたいディスクをドライブに入れ替えて電源を入れ立ち上げ利用」した記憶はない。作ったプログラムは,はじめはカセットテープ,後にはフロッピーディスクに保存した。したがって,順序は「電源を入れて」「フロッピーディスクからプログラムを読み込む」という順序だったのだ。もちろん,フロッピーディスクを入れなくてもパソコンは使えた。
このような技術の歴史に関することは,もう一度きちんと検証すべきではないだろうか。
3 インターネットと携帯電話の発達
次の記述がある。
更に,2000年代後半には本格的 なスマートフォンも発売され,LTE回線の普及も後押しして,スマートフォンへの移行が始まるととも に,microSDカードなどのメディアも普及していっ た。
「本格的なスマートフォン」とは何だろう。本格的でないスマートフォンというものがあるだろうか。携帯電話から今でいうスマートフォンへの画期は iPhone だった。iPhone が出て,あの形式のものを「スマートフォン」と呼ぶようになったに過ぎない。
2 情報セキュリティの必要性
1 無線LAN
「演習1」として,
無線 LAN において暗号化を行う必要性と,どのような暗号方式を選ぶべきかを調べてまとめましょう。 また,生徒に暗号化や適切な暗号方式の必要性を理解させるために,どのような問いかけや例示を行いま すか。いくつか挙げてみてください。
というものがあるが,これを行うためには,無線LANについてのかなりの知識が必要になる。以前は,家庭で無線ルータを設置するときに,暗号方式の設定などをパソコン上から行う必要があったが,いまはその必要がほとんどない。IDと,製品に付属しているパスワードだけでつなげられるからだ。したがって,実習でルータの設定をやろうとしてもまず無理である。この教員研修用教材には,暗号方式(WEPなど)の説明もない。授業で説明するとなれば,何らかの方法で一通りの知識を仕入れておく必要があるだろう。
学習4 コンテンツの創造と活用の意義
末尾に,次の文がある。
個人が簡単に情報発信できるようになった現在,人に優しく効果的なコミュニケーションを行うためにも,ユニバーサルデザインの考え方をしっかりと持つとと
もに,アクセシビリティやユーザビリティを向上させ,情報デザインの考え方を改めて学習することの重要性を生徒に気付かせたい。
現行の「社会と情報」にもこれはとりあげられているが,「情報」の授業としては大切なことだろう。たとえば,ここにも取り上げられているピクトグラムについて,どのようなものが使われているか調べたり,自分でデザインするという授業が考えられる。筆者は実際にピクトグラムを描かせる授業を行った。題材は「校内の案内」だったが,なかなかユニークなものが作品として出された。ただし,教科書で1ページでも,そのための実習時間は2コマだった。
さらに,アクセシビリティやユーザビリティを向上させるためのデザインを考えるには,おそらく教科書だけでは不十分で,「わかりやすい表現の技術」(藤沢晃治)のような本で学習する必要があるだろう。
全体を通して,情報技術は年々変化するので,授業で扱うためには教員自身が動向をチェックしておく必要があるとあらためて感じている。教科書も数年で「使えない内容」になってしまうことがある。たとえば現行教科書にある「ユビキタス」。今ではほとんど使われていない。数年前からこれに変わったと思われるのが IoT だ。筆者は,最近まで日経エレクトロニクスを購読していたので,情報技術の変化についてはそれである程度把握していたが,そのようなものがないと新聞報道やSNSでの情報だけでは不十分だろう。
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と,ここまではよかった。今までの経験から検討できた。
第3章 情報とデータサイエンス を読んで,検討をあきらめた。検討できるだけの知識を持ち合わせていないからだ。研修用教材ではプログラミング言語としてPythonとRを使っている。筆者はRも使って授業を行っているから,その点では腰が引けることはない。重回帰分析,主成分分析についても,以前本を買って調べたことがある。しかし,具体例で分析を行ったことがない。研修用教材に説明があるが,この説明だけでわかる代物ではない。まず理論をちゃんと勉強(復習)して(教える立場なので)演習問題をやってみるのに何日かかるか不明だ。
現職で情報の授業を行っている教員で,この内容をすぐに授業でやれるという人はどのくらいいるだろう。いままで同僚だった人を思い浮かべてもゼロである。情報の専門家はいないし,数学や理科との兼任をしていた人でもとてもできるとは思えない。そもそも,プログラミングができる人がほとんどいない。
この教材で一週間研修して授業ができるか。否である。たとえば,「学習13 重回帰分析とモデルの決定」 に
演習1 特性要因図の作成
ブレーンストーミングを行い,身の回りや社会現象で,予測したい目的変数,予測に使用する説明(要因) 変数の候補となぜ,それが要因となるのかの理由を考え,特性要因図にまとめましょう。また,予測や要因分析が何に役立つのかを考えましょう。
というのがある。しかしブレーンストーミングができるだけの予備知識がなければ話にならない。何も知らない生徒ではなおさらのことだ。
これからカリキュラムを考える人は,この研修用教材をしっかり読んで,授業ができるかどうかを考えるべきだろう。