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『生きているだけで、疲労困憊』感想:愛される言葉を持たない人間の奮闘記

どうも、魔都上海から来ました悪い猫です。

本日は「愛の条件」の話を書いていきたいと思います。最近発売された『生きているだけで、疲労困憊』という本をご存じでしょうか?

これは、陰キャあるあるツイートで人気のreiさん(@rei10830349)が自身の発達障碍者としての半生を書いたサバイバル自伝書です。

コミニュケーション武器を持てない人たちが凶悪な人類社会でどのような扱いを受けながら生き延びるのかを書いた衝撃的な内容です。まだ読んでいない方は、ぜひ、読んでみましょう。

書評については既にわかり手こと小山晃弘(狂)さん@akihiro_koyamaが書いております。こちらもご参照ください。

Kindleなら少し高いラーメン一杯分(1300円)の値段で知見が広がります。一人の男が命を懸けた生存物語にして安すぎますので、ぜひ、ご一読ください。

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親の愛は無条件なのか?

モテの話をしている時によく「あなたが求めるのは母親/父親の愛では?」という声を聴きます。あたかも、無条件の愛=親の愛という文脈で語られるわけですけれども、いつもモヤモヤしながら聞いておりました。

本書は、開始早々、ネグレクトをしていた親とそれに気が付かない自分という背筋が凍るような展開から始まりますが、話は更にエスカレートし、それは、彼一人の問題ではなかった光景が描かれます。

特別支援学校に入った著者は周りを見てこんな感想を持つわけです:

入学して最初に衝撃を受けたのは、「親の愛情格差」だ。親に愛されている子どもとそうでない子どもは、見ただけではっきりとわかる。前者は清潔な服装、後者はヨレヨレ。横に並んでいれば歴然だった。
障害のある子どもにもリソースをしっかりと注ぎたいと思っている親と、リソースを割きたくないと思っている親の格差だろう。

酷い親がいるものだと憤慨する前に、少し落ち着きましょう。本当に「親の人格のみ」によってこの愛情格差が広がると考えていいのでしょうか?さらに読み進めていきます。

親に愛されている組のクラスメイト(中略)アニくんは弟ができてから親に全然きにかけてもらえなくなり、満足な食事がとれなくなったようであった。

はい、同じ親でも兄弟が増えたら発達障害の子どもが可愛くなくなりました。

これは、親権を持つ親が再婚して新しい配偶者と子供ができた時にも、旧子供が経験するマイルドネグレクトです。また、兄弟姉妹の中でも出来が良い悪いでも親は差別をしていきます。誰だって、より可愛い子、面倒を起こさない子に愛情を投資したいですからね。

さて、この状況を理解した上で考えて欲しいのですが、親の愛は果たして無条件なのでしょうか?いや待てよ、そもそも、人間の愛は無条件なのでしょうか?

「正しく懐く」から愛情を返すだけの動物

小学生の頃に読んだ文章でコウノトリだったかの話ですが、(違ったら申し訳ないです。)

小鳥赤ちゃんが泣くと親鳥は命をかけて守るそうです。その話を聞いて人間は「この母性愛は人間に似ている」と自画自賛しがちです。しかし、実験で親鳥の耳を潰すと小鳥赤ちゃんの泣き声を認識できずに殺してしまうということが紹介されました。

当時、その文章は「人間の母性愛のように見えて禽獣鳥類なのだ」という主旨で、動物を人間に似せて想像することの浅はかさを指摘したそうです。人類マンセー主義ですね。

私は子どもながら「人間も子殺ししますよね?」と天邪鬼に疑問を感じていたのを覚えています。

そして、今回、reiさんの「言葉を上手くしゃべれない発達障害が遭遇する親からのネグレクト経験」を通じて確信しました。人間だって同じように「直感で愛したいと思うような懐き方をしなければ愛さない禽獣なのだ。」ということです。言葉を喋らなければ親の注目を引けない、子供も障がいで親に関心を持てなければ「子供らしい可愛い懐き」仕草を見せられない。

親はゲンナリして「この子に構ってもつまらん」と感じるでしょう。

道義とか倫理とかはモチベーションの前では綺麗事です。(そんな精神論が成り立つなら共産主義は成功したし、平等主義下でのフリーライダーもいないでしょう。)結局、可愛いくない子供を可愛がる誘因もなしには、子供との気持ちに距離が生まれてしまう。

ただ、それだけのことです。

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引用:『ブラックラグーン』

人間はそういう直感だけで他者を助ける禽獣であって、それに対して非常に無自覚なだけだったのですよね。

ヴィーガンや動物愛護の人が人間の生活以上に動物を大事にする運動を起こしがちなのも理解できます。

人間より動物の方が好きなのは、煩わしい人間関係がなく、動物の方が簡単に自分に懐いているのです。その相互の「懐きの表現」がゴリゴリの愛の条件として絆を深めているにも関わらず「無条件の愛」だと認知しているのです。

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これは一種の脳のバグであり、このバグを活用してそれぞれの個人は人生を豊かにしているのではないでしょうか?

そして懐き方は勉強ができます。

ぼっちの人に犬を飼うようにカウンセラーが勧めるのも、ペットの懐き方を見て覚えて愛情で返して、初めて人間社会でも他人に懐くことの重要さを学べるというのです。

愛される言葉を持たない者は誰からも愛されない

これは非モテ問題と地続きの問題だと感じています。

発達障害者が自分の親にかける「愛される言葉」が分からないのと同じように、非モテだって「女性にかける愛される言葉」が分からない。そして、問題解決脳なので、すべての問題を年収、顔、身長として自己完結してしまうのです。

発達障害に関わらず、そもそも男は自分の感情表現が苦手すぎる、これは対女性に限った話ではありません。

女性と同等以上にいつも臆病で他人からの愛を欲しているにも関わらず、女性のように痛い、怖い、悔しいとその場で泣きだすこともなければ、嬉しい、愛おしい、大好きだと愛の言葉も言いたがりません。

アメリカ初代大統領のジョージ・ワシントンには独特の人間関係術がありました。それは、信頼を深めたい人間にあえて「助けを求めること」でした。「助けをあえて求めることで、相手から信頼されている感覚を持たせる。」という逆説的なライフハックだそうです。

しかし、人間関係で拗れた気難しい男は、逆に、これが全くできない状態となるでしょう。助けられない無力感が他人に助けを求める誘因を下げているのです。

「助けを求めない」>「助けられない」>「助けを求めることを諦める」>「助けを求めないから相手も信頼しない」この情動が負の連鎖で拗れて、誰にも助けを求めず懐かず、ただたた自分の思うとおりに進まない世界の理不尽に耐え、感情を爆発寸前まで抑圧させてしまいます。

以下の動画は、学校で虐められ飲んだくれの家庭内で虐待されて14歳でホームレスになった男が銃乱射一歩手前で、居候先の友達の愛に阻止されるストーリーです。(自動翻訳で観てみましょう。)

コミニュケーション弱者というのはこういう脆く救いがたい生き物です。

世界を焼く前に助けを求めることの大事さ

特に男は泣かない騒がない、ただ、ひたすら怒ってロジハラしている自分にも気が付かない生き物です。でも、論理ではなく感情を表現しろと言ったら、自分の感情さえ把握できていないので、もう、どうしようもない状況になります。

コミニュケーション能力というのは天性のものもあれば、後生でいかに自分と真摯に向き合った人間がいるか、その資源にアクセスできたかでも決まります。

ここまで書いていると「声を出せない出す方法を知らない弱者」がどのように救済されるかは社会関係資本の初期ガチャで決まるような気もしますが、それもこの世界の現実の一部なのでしょうか。

完全に何も持たない人間の救済物語の少なさ

家族、身体、精神に欠陥がある人間が才能と努力で人生に希望を開くストーリーは、今までも、有能な障碍者たちを通じて何度も見てきたわけです。宇宙の起源を解明するホーキング博士など、天才が自分の欠陥を払いのけるように活躍する物語が私たちは大好物です。

そういう人間に愛を向けたくなります。

小説、漫画、映画などでも、さまざまで物語として共有されています。例えば、家庭と環境に致命的な欠陥も持つ少年の成長を、繊細に描写した映画がマットデイモン主演の『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』ですね。

虐待されて回避型人格となった高知能の主人公が、周りのカウンセラーをボコボコに論破していくけれど、それは自分の気持ちに決着がついていないことに全く気が付いていない状況でした。そこで、妻を失ったロビン・ウィリアムズがゆっくりと心を開かせるストーリーです。

しかし、この映画での主人公ウィルは、才能、友情、恩師に恵まれました。特に突出した才能を持つことで大学の教授の目に留まり、何とかして人格を回復させようと周りが努力し始めます。まるで『ドラゴン桜』の底辺たちが全然底辺ではない状況と似ています。むしろ、才能に恵まれた人間はこの実力社会での強者です。

例えば『ゲームオブスローン』のティリオン・ラニスターでさえ、貴族家随一の頭脳を持つことで、自分を矮小人として蹂躙する世界に首の皮一枚で生存し、その努力が美談として語られ、シリーズで最も愛されるキャラクターとなりました。

子供はたまに「ねえ、パパママみてみて!」と大して上手くもない特技を自慢して注意を惹きつけようとします。これは、親が自分に継続的な投資をするために自分の才能を見せつける努力です。そして社会では「有能である」ことそのものが「愛される言葉」として世界に自分に投資するように呼びかけられるのです。

では、才能、友情、恩師、それらを持たない人間にどのように救済が可能なのかを私たちは物語としても共有さえしていないのです。

この実力主義の社会では、必ず何かしらの能力資本を持つ人間がその資本を使って人生挽回する物語となるのです。

この本が異色の本となる理由は、才能、社会資本、そして助けを求める声さえ持たなかった人間が、無関心な社会でどのように運よく生存できたかの異色の物語たっだのです。

そして、幸運にも最終的に本の中で声を上げることで、改めて人々はその満身創痍に気が付づき、もうすでに何の役にも立たない読者の愛をわずかに獲得できたという何ともホラーな世界の現実を見せつけてくれるのでした。



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