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優しさの先に


優しさとはなんだろう。

困っている人がいたら助ける?

かわいそうだなって思ったら、親切な人なのか。
いや違う。

では手助けをしたら親切なのか?
困っている人である本人が、余計なお世話だと思ったら親切ではなくなるのか?
それもおかしな話だ。

そもそも基準なんてない。

それは優しさだけにかけられたことではない。

人はそれぞれ自分だけの基準がある。
成長しながらその基準が構成されていく。
もちろん、人によって育つ環境が違うので
よって感情の幅、高さ、深さ、(?)感じ方全て違ってくる。

時に優しさを、悪く活用して悪事をする人もいる。
名前を伏せたからといって、優しさが消えてしまう人もいる。

スマホの普及でインターネットを通じての人と人との距離が近くなった今、
前まではあった優しさが欠けてきていると思う。

便利なのはもちろん良いことだ。
例えば郵便局に行かずに送金ができちゃったりする。
海外にいる人と、顔を見ながら話すことができる。
ただ便利になっても、副作用はもちろんついてくる。

高年齢の人たちにとっては、
不慣れであるし、ついていかないと不利なことが多い。
インターネットの普及は、高年齢の人たちにとって優しくない。

親の優しさが圧倒的にトップワンだ。
損得を考えず、尽くしてくれる。
見返りの求めない愛である。
果たしてこの力に勝てる優しさはあるのか。

こんな風に考えることができるように育ててくれた親には感謝ばかりだ。
親を見本として生きてきた。もちろんこれからも。
こんな親になれるのかと昔から考えてきた。
優しいのが当たり前で、普段は優しいなんて思わない。

もしいきなり、この優しさに休止符が打たれたら?
親が尽くすのをやめたら?
ひどいと思うだろう。

優しいのが当たり前になってしまっているからだ。
求めたら帰ってくるのが当たり前になっている。

普段から感謝をしていたら、
優しさが途切れても、ひどい、悲しいなんて感情はないだろうに。

感謝と謙遜はいくつになってもどこにいても、どれほど成功者であっても忘れてはならない。

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