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「救急車体験記」#2

2018.6.23

若い。

知人の旦那さんに似ているのが第一印象だった。
青い上下の衣服の上に、白衣を羽織っている。
傷を診てもらいながらも、切れ目から血がじんわり膨れてくる。
縫合かな、と呟く声が聞こえた。

「今から麻酔を打ちます。この傷よりこれからより、今からの麻酔が一番痛いです」
「分かりました」
どんな痛みも耐えます。
お店の一升瓶を割って懇親会を中座し救急車にまで来てもらって深夜に診療を受ける、この精神的な痛みに比べたら。
身体的な痛みには耐え抜きます。

注射器に、水のような液体を限界まで詰め込んでいる。周囲で看護師さんがてきぱきとお医者さんのサポートをしている。

「痛いですからね、頑張ってくださいね」
注射の瞬間は見られないので、壁の時計を見る。
針が入った感覚。それからぐぅっと、親指の腹の一点を刺激する痛みが走る。

確かに痛い。
しかし、精神的な痛みを身体的な痛みに換算したと思えばこれくらいだと思う。いや、足りないかもしれない。
痛みが痺れに変わってきた。

23時40分。
私はなぜこんな時間に、一升瓶を割ってしまったんだろう。

針が抜かれ、再び「また痛いですよ」と言われながらもう一度針が差し込まれる。
1回目の途中から既に麻酔が効き出したのか、2回目以降は針が刺さっているという感覚と痺れしか感じなかった。

3〜4回刺した後、一度洗いますんで、ということで立って流しのようなところへ移動。
せいしょく、というのは多分生理食塩水のことだろう。
パック詰めされた水を親指にじゃぶじゃぶと流しながら、先生が切れている部分の皮膚をめくる。
我ながら自分もよくそれを見ていられるな、と思う。

「割れたガラスの破片などがないかを見ています」
そう言われて、さっきの場面を思い出した。
瓶は割れたけれど、ガラスの破片はほとんど周囲には散らばっていなかった気がする。
唯一、瓶の口の部分だけが輪状に割れて、少し離れたところに転がっていた。
自分の足にも破片が飛散していた記憶が全くなかったところを見ると、ある程度は瓶が割れるダメージを軽減できていたのかもしれない。

代わりに自分がダメージを受けてどうする。

改めて申し訳なくなり、お医者さんに指を洗ってもらいながら謝る。
すみません、こんな夜分に申し訳ないです。いえいえ、仕事ですから。いえ、いらぬ仕事を増やしてしまいました。

再び席に戻る。ガーゼをもらったが、流しから席に戻るまでの間にも血が滲み出す。

看護師さんが開けた袋から、黒いナイロン糸みたいなのが出てきた。
お医者さんが、そこからピーッと数十センチほど糸を引っ張り出した。
それから水色の不織布のような四角い布を折りたたみ、半分のところに切れ目を入れて指で押し開き、私の親指にかぶせた。
水色の布から親指だけが出ている状態になった。

黒いナイロン糸の先に、1センチほどの針のようなものがついている。釣り糸のようだ。
これをピンセットで挟み、親指に近づける。

「痛かったら我慢せずにすぐに言ってくださいね」

歯医者システムのようだが、痛いと止まるんだろうか。
いや、麻酔が効いてないってことなんだろうな。
ぼんやりと針が指に刺さる風景を見ていた。
まさに裁縫と同じ要領で、めくれた皮膚と皮膚を縫おうとしている。

確か血を見るのがダメで献血しなかったはずなのに、今冷静に見られているのなら実は献血も大丈夫なんじゃないだろうか。 
それぐらい、自分から血が出ているのが他人事のようだった。

最後まで見るのは少しためらわれたので、再び目をそらして壁の時計を見る。
23時50分。
ホテルに電話しないとなぁ。

ハサミのパチッ、という音がして親指を見ると、黒い結び目が一つできていた。

続く。

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