バーチャルソサエティと友達の話。

私のかく記事を読むのが初めての方はまずこちらをhttps://note.com/everyday_seiri/n/n406bdeeeecbeご一読ください。


生きているというのは、いろんな人間関係に囲まれることである。

学生であればクラスメイト、塾の友達、習い事の友達、部活動の仲間。社会人ならかつての同級生や、職場の上司や先輩後輩。よく行く顔見知りのコンビニ店員から家族に至るまで、沢山の人間関係に囲まれていきている。

そんな中、近年新たに浸透してきた、と言い切っていいであろう人間関係の形、バーチャルソサエティ。

インターネットと呼ばれる巨大な電子の海がそこには広がりそこには沢山の人間と人間の数を超えた情報が波のように漂っている。

一昔前は、ネットを通して知り合った人間に会うなんて、「得体の知れない」ので「怖い事」とされていた。確かに知識なきモノを騙すような人もネット上には沢山いるが、少しずつその正体が割れてきた今、対処する方法や回避方法が浸透してきたため、その得体は知らないものから知れるものとなった。結果怖いものでも無くなっていった。

気づけば誰もが手軽に触り、板一枚挟んで世界中の誰とでも繋がれるようになった。

それでも、やはり未だに全て許容され受け入れられたとは言い切れない。正当な出会い方ではないと考える人も多かろう。

だから、ネットで出会ったフレンドと区別をつけるために、未だにネットを通さず自然と知り合った友人を「リア友」と呼んでいる。


そろそろ長い前置きは飽きた。

私自身の話をしようかな。

2021年。今年で生命活動始めてから四半世紀になる。そんな現在の私の交友関係とは主にやはりネットである。

どうにも私という人間は人付き合いする事が嫌いではないが不得意で、この瞬間ネットを通さず知り合い、そして友人であると胸を張って言える人物は2人かせいぜい3人だ。

同級生が学生時代のグループで集まるような友人関係というのは特になく、全員一個人で仲良くしているのでこの2、3人が交わって遊ぶことはない。

それに不満であるかと問われればそんな事はなく、その唯一友人と呼べる彼女たちは一人一人私にとって大切な親友なので、それ以外の中途半端な腐れ縁のような関係性はほとんど切れてしまったのでずいぶん楽に生きているし、満足している。


そんな風に生きていたある日のこと、私はここ一年ちょっとの間、軽い気持ちで手を出した配信サイトに入り浸っている。

このインタァネットサイトを通して知り合った人々と親しくなり、今ではオンラインゲームを一緒にやったり、同じ映画を通話しながら鑑賞したりと、遠隔的に時間を共にする人たちが沢山できた。

二十いくつになってこんなにたくさんの友達と一緒に遊んだのは初めてだったし、年齢も性別も出産も何もかも取っ払ってインタァネットの海を通さなければ出会うことすらなかったであろう人たちと遊ぶのは、正直楽しくてしょうがない。

小っ恥ずかしい言い方をするなら第二の青春とでもいうのだろうか。そんな感じの鮮やかさがこの電子の海には落ちていた。

インタァネットを通して作ったコミュニティってものがどれくらいの効力を持って持続し、交友関係として成り立つものなのか。私はいまいち分からずにいるんだけどたとえこれがたった一瞬のきらめきだったとしても、一生消えない傷として光り続けて記憶に残りはするんだろうなと思う。


と、言うのが約1年前に下書きに書きっぱなしにしていた文章である。

続きはない。しかし書きっぱなしなので一応投稿しておく。


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