知らないうちに他人軸で生きていた私
私は今、自己肯定感爆下がり中だ。
去年の秋から過去ばかりを思っていたからかもしれないけど、なんで?どうして?と思うことがひとつ、またひとつ湧きあががってきて、それがどこから来るのかも分からなくて、最近は家に帰ると何が悲しいのか寂しいのか、何故なのか分からないけど涙が出てしまうことがある。
自分が分からないのである。
迷子である。
鬱に近いのかもしれない。
相変わらず当時の彼のことは毎日少しは思い出す。
でも前ほど戻りたいと思ったり、そういうのじゃなくなったことは進歩だなと思う。
年明けに地震があって、東日本大震災を思い出した時は、当時の彼と一緒にいた時期ということもあって、少しだけ思い出して病んだけれど、大丈夫になるまでにかかる時間が短くなった。
病んでから平常時に戻るまで、同じ感情をぐるぐる繰り返していることに気づいた。
戻れないことを含めて悲しい時期
↓
友達として会いたいと思う時期
↓
会わないのが普通だよなと思う時期(平常)
大まかにこの3つの時期をループしていた。
悲しくてつらい1番病んでる時、それが終わると、今は普通に友達なのになんで会えないんだろう?と思っている。職場が近いから余計にそう思ってしまうのかもしれない。それも時間が経つと、まあ会わないのが普通か、そうやって10年過ごしてきたんだし。と思える。
元彼なんてそんなもんだよな、と。
他人に1番近い友人だと思ったらスッキリした気がする。
今はそれよりも、秋に遠方に引っ越してしまった大親友(N)と思っていた子から連絡が返ってこないことのほうが、私にはだいぶきている。
2023年12月、昔使っていたインスタのアカウントを見つけた。投稿することもないけれど、見つけた記念になにか残していきたいなと思っていた。
あと、何かが起きて連絡が取れなくなった時、別の連絡手段としてあってもいいのかもしれないと思ったからだ。
facebookと連携してるやつだから、リアルに繋がりのあった人としか繋がっていない本アカである。
友達伝にNも知り合いかもみたいなかんじで出てきたけれど、フォローするのは怖かった。
インスタフォローしてそれに気づかないならそれでいいんだけど、拒否されてしまったらやっぱり落ち込んでしまう。
何年も会ってないような地元の同級生とかなら、そんなこと別に気にしないけれど、新卒から一緒に仕事頑張ってきて、2人で沢山旅行したし、仕事を辞めてからも1番近いなんでも話せる親友だと思っていたから、距離が離れても一生の付き合いになると思っていた。
年明け、勢いでインスタはフォローしたけれど、フォロバされることはなかった。
なんなら共通の友達のフォローからもNを見つけることはできなかった。
ブロックされたということか、それともアカウントごと消したのか。
今の彼女にはわたしは要らない存在なんだろうな、いつの間にかいなくてもいい友達になっていたことが、大人になって友人を無くすことがこんなにつらいなんて知らなかった。
自分でも知らないうちに、わたしはNを心の支えにしていたのかもしれない。
生きてたら、またいつか会えるよな。
前向きに思おうとしてるけど、はっきり思えるまではまだしばらくかかりそうだな、と思う。
自分を大事にしくれない人を大事にする必要ないよ、と友達は言ってくれる。
ほんとにその通りだと思う。
連絡取れなくて不安になるのは、わたしがその人に期待していたからだ。
この人は私を見捨てない、同等に扱ってくれると勝手に思っていたから。
でも現実にそうじゃない今、わたしがその人に対して思っている気持ちをどこに向けていいか分からなくて、わたしは苦しいぐらいモヤモヤしている。
LINEがダメならメールを、とメッセージを送ってみた。
たぶんこういところが私のダメなところなんだと思う。
どうにかして連絡を取りたい、その人が今どうしているのかを知りたいと思うのは私のエゴでしかない。
メッセージは配信済みになったから届いてはいるだろう。きっと読んでも読まなくても返事がくることはないだろうと思う。分かっている。
でもiPhoneを開いた時に、通知マークが付くことを期待してしまっている。
今年は後厄だ。
何かに期待することやめたい。
去年、いつの間にか知らないうちに他人軸で生きてしまっていた私をやめて、今年は自分軸で生きたい。
2024年、前向きに生きれるよう努力します⭐️
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