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虫かごを広げる

ヨルシカの「老人と海」を知ってからこの事ばかりを考えている。

“想像力”は重量である。
色んな所で意気揚々と「想像力は自由の翼だ!」なんて書かれるけれど、そうであるなら自由とは随分狭苦しいもののようだ。

しかし、その気持ちも分かる。
現実の世界はどうも、居間で寝転がっている瞬間にも俺の周りには“何か”が纏わりついていて自由を侵害してくる。
その“何か”とは、法律等の規則であったり、人の目であったり、モラルであったりする。
別に規則を破ろうとしているわけではないけれど、そういった目に見えない制限が纏わりついている事実が不自由さを感じさせる。
だからこそ、想像においてそれらの障壁を取り払うことに自由らしさが与えられる。

しかし、そこで手に入れられる翼は無限の翼では無いと俺は思うのだ。

例えるなら、現実の俺たちは虫かごの中を這いずる芋虫である。想像と云う翼を手にしたらそこから飛び立てる。が、それは虫かごの中にしか過ぎない。虫かごの外へ自由に飛び立つことはできない。

想像という尤も自由らしい世界においても、我々には限界が存在している。それが“想像力”なのだ。
この想像力という虫かごを破るのは生物で最も誇られる人間の頭脳を以てしても不可能なのだ。
俺はどうしようもなくそれが虚しい。

そうして俺たちはせめて虫かごを広くしようとしている。世の中には自分より虫かごの広い人間が複数いて、その人間たちが作る作品を通して自分の虫かごの少し外を知れる。そうして少しずつ、少しずつ理解して虫かごを広げていくのだ。

虫かごの外へ。それは不可能だが、少しでもそれに近いものを得るために俺たちは作品を見る、聞く、読む、感じる。そして作る。

それは時に、こうして筆をとることでもある。

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