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自分のやりたい事の集大成(後編)

前編はこちらです。

先に前編を読む事をオススメします。

やっとプログラマー!?

タイトルでやっとプログラマーになれたんだ。と思った人もいると思います。
ネタバレすると、まだすぐにはプログラマーにはなれませんでした。

前編で入社を決めた会社はSES(システムエンジニアリングサービス)の企業でした。

エンジニアが足りなくて、作業者を増やしたいけど、正社員で雇うのではなく、一時的にスポットでエンジニアを別の会社から借りるたい会社のために、エンジニアの貸し出しを専門としている派遣の企業という事になります。

派遣とはいえ、SESの企業では正社員扱いなので、正社員の待遇は受けられます。ただ、働き方が派遣の働き方になるというだけの話です。

こういったSESの企業によく見られる傾向として、貸し出す事ができれば、給与などの管理はしなくてはいけないのだが、基本的に何もしなくても派遣先からお金が貸し出し料として払われるので、お金が入ってくるという事になる。

なので、貸し出せば貸し出す程お金が多く入ってくるのだ。

多少の経験がある人なら、貸し出しは比較的容易になるので、ちょっとの経験者でもどんどん採用して派遣に出すという傾向があるのである。

その傾向にまさに自分も引っかかりました。
一瞬で採用されたのもそのためでした。

しかし、会社が思っている程僕の経験は高くないと判断されるのと、単純に案件(貸し出して欲しい会社)が少なかったのも相まって、全然派遣先が決まりませんでした。

入社して1ヶ月程自社で勉強するという時間を過ごし始めました。

正直、何も面白みもなければ、自分のスキルが上がってる気もしませんでした。

かなり内心焦っていました。

そして、そんな時に面談なしで入れる案件がありました。

僕はいち早く派遣に出たかったので(お金的にも、スキル的にも)
その面談なしで入れる案件に飛びつきました。

しかしそこから地獄が始まりました。

孤島の現場

やっと決まった現場に胸を躍らせながら、集合場所の品川に向かう。
すごい高層ビルに入っていく。そして高級そうな椅子が並んだ部屋に通され、待つように言われる。
こんな高貴なところで自分は働くのか…。やっぱ東京はちげぇなぁ…。
そんな感じでワクワクしていました。

そこには10人ほど集まっていた。
「今日からの人がこんなにいるのか…」

ある意味同期的なものを今まで体験した事がなかったのでワクワクしていたのも束の間、そこを仕切ってるみたいな人が部屋に入ってきた。

仕切ってるぽい人「えー、ではこれよりそれぞれの派遣先をお伝えしますので、そちらの方に移動してもらいますね」

え…。
な、なんだと…!? ここで働くんじゃないのか?
ここからさらに派遣されるというのか!?

「名前呼ばれたら、この紙持って行ってください」

淡々と名前が呼ばれ、出ていく人達。残される自分。
結局3人の人が残り

「あ、じゃあ君たちはこの派遣先に行ってね」

そう言い、地図を渡された。

「この場所に着いたら、そこからはそこの上長さんの指示に従ってね。あっ、お昼は買って行った方がいいよ」

そう言って、その人は出て行った。
残される3人。
顔を見合わせる。

「い、行きましょうか」

3人でお昼を買い、軽く自己紹介しながら現場に向かう。

まさか、こんなたらい回しにされるとは思わなかったので少し困惑しながら、これが東京の洗礼かぁなんて思いながらバスの中で外を眺めると品川から見える海が綺麗に見えた。

これから僕の人生が始まるんだ…。気合を入れて、バスから降り、案内されるがままに執務室ぽいところに入る。

そこに広がった景色を見て僕は言葉を失う。

200人くらいの人がところ狭しと敷き詰められた机に向かってパソコンに何かを打ち込んでいるのである。

自分がまさに奴隷になったような気分になったのを覚えている。

新しい奴隷が来たぜー!ヒャッハー!という声が聞こえてきそうであった。

僕らは席につき、仕様について話を聞く事になった。
話の内容から、僕らはテスターという仕事をする事になるようだ。

IT業界の人だと、察するかもしれない。

この業界で、テスターと聞くと、ひたすらにエクセルに書かれた指示に従って画面を操作して、その結果をエクセルに書いたりスクショを貼り付けたりする仕事。つまり、プログラムを書かないのである。

皆、案件選びをする時、テスターだけは避けるということを聞いた事がある。

何故なのか自分はよくわかっていなかったが、その現場で身に染みて分かった。

プログラムを一切書かない上に、正直日本語が分かれば誰でもできるような仕事なのでスキルの向上もクソもないのである。

まさに、奴隷。

この200人の一部に取り込まれてしまった惨めな人質である。

「や、ヤバイ。このままでは腐る…!」

そう思ったのは、その現場に入って2日目であった。
もはや、まだ本格的に仕事も始まってないレベルの時である。

「あ、あのさ。この現場どう思う?」

ちょうど、この現場に一緒に来た3人の中の1人が隣の席だったので、勇気を振り絞り聞いてみた。
仮にそいつの事をIと呼ぶ。

I「…ヤバい」

僕「やばいよな…!俺もう出たくてしょうがないよ」

I「昨日、営業に現場変えてもらうようにお願いした」

僕「ぶっ、早いな! 俺も言っておかないと…!」

早速、お昼休みに営業に電話をする。

僕「すみません、ちょっとこの現場、無理そうなんで変えてもらう事ってできますか…? もちろん任期はいるつもりなので、それ以降の現場は別のところに…」

その現場は他の所とは違い珍しく、最初から2ヶ月契約だったのだ。

普通は最初の1ヶ月はお試しで、そこから更新するかどうかの話をするのだが、最初から2ヶ月契約というのはかなり珍しい事だったが、今となっては多分こんな感じで出ていく人が多いから2ヶ月という少し長めに設定する事で逃げられなくしていたのだろう。

営業「え、まだ入って1週間も経ってないけど、早くない!?」

僕「ちょっとここに2ヶ月以上いるのは厳しいです…あれやこれや…」

といった説得を何日かかけて行いようやく折れる営業。

営業「うーん…。しょうがない。分かったよ。次の現場探しておくよ」

これで僕の将来は多少安定したかのように思えた。

その時はあと1ヶ月ちょっとの時間をどう乗り切るかだけを考えていて、最悪また自社で勉強期間になっても二度と面談なしの案件には行かない事に決めた。

ようこそ!第二の現場へ!

結局、他にもトラブルはいろいろあったのだが、2ヶ月生き延びて、退場する事になった。

ちなみに、次の現場も決まっていた。
ちゃんと面談して決まったところだ。

2ヶ月が経ち、次の現場への気持ちが抑えられず…
最終日の僕はもう「だ、ダメだ、まだ笑うな…。しかし笑みが…」
と某神ライトのような表情でお昼を過ごしていたのを覚えています。

無事、笑みを隠し通せた僕は、次の現場が始まるのを楽しみにしてその日は帰った。

さて、みなさん。ようやくお待ちかねの、僕のプログラマーデビューが始まります。

次の現場からとうとうプログラムを書く仕事をする事になります。

しかし、まだまだ油断はできなかった。

自分はまだガッツリとプログラムを仕事で書いた事がなかった。
そして、次の現場ではLaravelを使っていた。

そう、あの時僕の心をへし折ったLaravelフレームワークである。

あの時はチュートリアルでしかやっていなかったので、正直スキルとしては初心者より下のレベルでした。

そんな人が現場のLaravelに触れて心が折れない訳がない。

今から見ればそこまで複雑なシステムではなかったですが、当時にしたらかなり複雑に感じ、難しく感じました。

毎日頭を悩ませながら、仕様と格闘し、ちょっと書いては消し、ちょっと書いては消し、を繰り返しながら、上長に確認したりしてプログラムを書いていました。

「まぁ、今まだそんな忙しくないから、ゆっくりソース読んで理解していいよ」

そう言ってくれた、優しいけど強面の上長は、毎日深夜3時まで残業していた。忙しくないとは一体…。

そしてその現場で友だちも何人かでき、それまでの現場で一番楽しい現場は半年程いて終わったのであった。

結果的に、Laravelの経験とVue.jsの経験をする事ができた事で

僕の人生を変えてくれた会社への転職に繋げる事ができたので、とても感謝しています。

二つ目の現場が終わると同時に、年を跨ぎ、次の会社に入社が決まるのであった。

プログラム三昧

ところで、僕は最近また転職しました。

その時の記事はこちら。

この転職する前の会社が、2つ目の現場が終わって入る会社(以下、A社)になります。

A社から転職する事になっているのですが、今でもすごく感謝しているし、とても良い人達に関わる事ができたなと思います。

この会社が今までで一番まともな会社で、一番有意義な時間を過ごせた会社でした。転職する理由に関しては、上記の記事に書いてあるのですが、会社を嫌いになった訳ではないのです。なので、とても自分的にはかなり悩んだ転職でした。

さて、少し路線がズレまくってて本記事の趣旨とズレてるやん!って思う人もいるかもしれませんが、自分のやりたい事の模索だがそんな感じのタイトルの記事だったと思います。

そして、この転職が一番それ(自分のやりたい事)に近づく一歩のように思っています。

しかし、それにはA社での経験があったからこそのものだと思っています。
A社に入社前は、今考えてるようなやりたい事もできると思っていたのですが、若干のズレを感じ始めたのでした。それは別に会社が悪いとかそういう話ではなく、単に方向性が実は違っていたというだけの話です。

当時、プログラムを書く仕事ができれば良いという考えでした。
そして、あわよくば海外のエンジニアとの関わりを持ったり、仕事で海外にいく事も考えていました。そうする事で自分のスキルを遺憾無く発揮し、楽しく人生を送れそうだと思っていたのです。

そして、そのうちのプログラムを書く仕事をするという点において、A社は本当に僕にプログラムを書かせてくれ、苦しい時もありましたが、おかげでかなりプログラムのスキルは高まったように思います。(それでもまだまだ未熟ではありますが)

毎日毎日プログラムを書いて、寝ても覚めてもプログラムに立ち向かい、今まで作った事もないようなものに対してあれやこれや試行錯誤しながら、頭を悩ませて、できた時の喜びや作る楽しみを味わう事もできたのもA社のおかげでした。

時には、連日日付が変わるまでプログラムに立ち向かわないといけない実装などもあり、かなり苦しい時もありました。

中途入社という事もあり、なかなか実装がうまくいかず人に聞く事もできず、自分で解決しようともがいて苦しんだ時でもありました。

しかし、それがあっていろいろと仕事の進め方、プログラムの書き方、失敗など体験する事ができました。

ここで働いた事で、プログラムを書くという仕事は続けはしたいものの、プログラムだけで生きていくのではなく、他にもいろいろと挑戦したいことが増えてきたという事は、ここでのこういった経験があって生まれたものでした。

最終的な目標

前章では、少し自分の感傷が入り込んだ内容になってしまったのですが
ようやくやりたい事への続きになります。

僕は、最終的に言葉としての言語、プログラムとしての言語を使い分ける仕事をして働きたいのだという結論に至りました。

しかし、それは日本で行うか、海外で行うか、それはまだ決めてかねていて、これから次の会社で働く中で見定めて行けたらと思っています。
(次の会社から海外に行ける機会を伺うなどの手法を取るとかを検討したり…)

そのやりたい事の一つが、海外で働くという事になります。

今はこれに向けて、全身全霊で頑張って行こうと思っている次第になります。

通訳学校に門前払いされ、プログラマーを目指し職業訓練校とバイトの二足の草鞋から、Webサイト制作芸人になり、テスターとして奴隷になり、プログラマーになり、システム屋になった自分が次に向かう場所は

次の会社でのお楽しみという事になります。

さいごに

みなさんの中にも自分の目標ややりたい事がないと嘆く人がいるかもしれません。

しかし、それは今必ず見つけなければならないものではなく、やっていく中で目標ややりたい事というのは変わっていくものでもあります。

急いで目標を見つける必要はないと思いますし、見つけたとしても変わる可能性は高いです。

今見つける必要があるのは、今の自分が何をしてると一番人生を楽しめるか を考えて過ごせるかを考えることだと思います。

自分がどういう存在になりたいかなどを考えてもいいでしょう。

しかし、それにはいろんなものを諦めたりする必要も出てくると思います。

そこはトレードオフで、自分の理想を追い求めるための代償というのはつきものなので、自分の妥協点を見つけ、受け入れる事は必ず必要になってくると思います。

僕の場合、通訳という道を捨てました。

もちろん、まだこれからそれに近づく事はできると思いますが、それに対する労力などを考えると通訳一筋でいくには、多少無理がある気がしています。それよりも、僕は英語が多少できるWebエンジニアとして、世界を駆け回るような人間になろうという直近の目標に向かう事ができています。

そのような感じに自分の目標を変えて、変化を楽しみながら仕事ができるような人になっていければと思います。

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