マウンティング謙虚
「マウントをとる」、よく最近耳にします。
一般的には「マウントをとる」ってあまり良い意味で使われていないですよね。
(マウントをとる、って他者に対して誇示したり、優位性をアピールしたりする際によく使われます。)
マウントをとることが暗黙の了解的に忌み嫌われているような、、、
(まぁもちろんされて気持ち良いことではないですが。)
ただ、個人的には世間はもっと他者に対して「マウントをとっていくべき」と考えています。
そもそもなぜマウントを取りたがるのか
マウントをとることをマウンティングとも言いますが、
マウンティングってもともとは「動物社会学用語」という一説もあります。
相手に対して優位性を示すために、マウンティングを行う。
(格闘技ではマウントポジションをとるとも言いますね。)
ある意味、生物としての生存本能(他個体よりも優れている必要がある)がうまく機能していると思うんですよね。
だったら種としての本能に従うべきではないですか?
とはいえマウンティングは腹が立つ
っていうのうが、世の常。
まぁ激しくマウンティングされたら私も良い気分ではないです。
ただ、優位性を誇示したいのも生物としての本能。
本能に抗ってまで、謙虚に生きるのもどうかと思います。
そこで、敢えてマウントをとられに行くのはどうでしょうか?
相手の生物としての本能を寛大なる心で認め、種として敬う。
心理や感情などを、本能の一部として俯瞰して見られる人が増えれば、
世の中もっと幸せになりそうですね。