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Wish you luck, Have a nice day.

僕は卑屈な人間である。
こんな一文から書き始める人間が卑屈でないわけがないのであるが、太宰治に憧れるデカダン気取りのニヒリストだと笑ってくれればいいと思う。誰も読まない前提で書いているし、誰も読まないので関係ないけれど。

この世は自分の上位互換で溢れている。僕よりも頭のいい奴なんて腐るほどいるし、僕よりも運動ができる奴となるとそれこそ全人類の半分以上がそうであろう。何をするにしても自分よりもうまくやる人間ばかりで嫌になる。しかも出来るやつってのはたいてい頭もよくて運動もできたり、人が良かったりと勝てる点が何もないのだ。性格がいいから嫌いになれない。そいつを嫌いになりたいこの嫌悪感は、結局のところこうして妬んでばかりの自分自身に向けるしかないのである。あゝ悲しい哉。

好きな本の著者プロフィール。企業のHPに乗ってるメンバーリスト。ブログに書いてある自己紹介。どこを見ても僕が勝てるビジョンが見えない。学歴だってそう、学術的な成果だってそう。優秀な人間ばっかり。彼らが世の中を回してくれるなら、こんな僕はいなくてもいいんじゃないかと思うのも道理だろう。

 一芸を持ちたかった。音楽だっていい、運動だっていい、タイピングが速いみたいな変なスキルだっていい。これは得意だと言えるようなものが僕にはない。ピアノくらい弾ければよかったのに。芸は身を助くというが、別にその芸で金を稼げるといった意味ではなく、こんな嫉妬にまみれた救いようのない人間にならないため、という意味なのかもしれない。何か特技を持っている人は、きっとこんなことを考えたりしないだろうから。
 残念ながら僕にはそんな特技はない。別に勉強ができた時期があろうとも、今の偏差値なんてたかが知れている。本が好き。文房具が好き。ゲームが好き。好きは特技ではない。好きなだけ。知っているだけ。何にもならない。
 書きながらふと思ったが、ここで僕が書いている特技、一芸とは「何かをする」ような行動であるようだ。何かを知っている、何かに詳しい、といった事よりも〇〇ができる、といったことを僕は重視しているようだ。当然知識は武器であり、どちらがいいという話ではないのは理屈では理解する。しかしこれが僕の思考の偏りなのだろう。どちらにせよ僕の頭の中には大した情報は入っていないから関係ないのだけど。

はじめタイトルを「徒然なるままに」とかいう1億回くらい使いまわされたものにしようと思っていた。さすがに陳腐すぎて却下になったが。紀貫之が徒然草を書いたのが1300年ごろらしいので、700年前の作品のフレーズが未だに使われていて陳腐だとまで言われているのは驚きである。僕も1000年後まで名を残せるような人間になりたいと思うけれど、まあ土台無理な話である。1000年後には人類は絶滅しているだろうから。

ああどうか1000年後には人類が絶滅していますように。
僕の上位互換な彼らが虚無の中で僕と同じ無意味に成り下がってくれますように。
彼らと僕が同じレベルに立つにはきっとその方法しかないのだから。



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