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こしあんパンとギャップ萌え

 最近こしあんパンがマイブームである。世のアンパンは大抵がつぶあんであるが、ふと買ってみたこしあんパンが思いの外美味だったのである。たまにコンビニで餡饅を買った際、こしあんもいいな、と思っていた頃からその兆しはあった気がするがどうなのだろうか。

 こしあんパンの魅力は何といってもその滑らかな餡である。舌触りがよく、自然な甘さがたまらない。そして、その中に見え隠れする絶妙な塩味がまたよい。

 そう、塩味である。甘い、甘ければよいあんこの中になぜ塩が必要なのだろう。僕は塩系のお菓子が苦手である。例えば塩キャラメルだとか、塩チョコレートだとかそういったものである。せっかく甘くておいしいものをなぜしょっぱくするのかしら。じゃまですわ。といった具合である。
 だがあんこには塩がなければならない。また塩キャラメルなどが一定の人気を誇っているのも確かである。きな粉には少し塩を入れないと味気ないし、スイカに塩をかけると甘くなるとも言うではないか。どうやら甘いものと塩は不思議な相性があるようだ。なぜなのだろう。

 ふと思い出すのはギャップ萌え、という言葉である。普段かっちりしている人がプライベートで出すだらしなさだったり、逆に普段おちゃらけている人が見せる真面目さ、かっこよさに「萌える」ことを指す、と僕は認識している。違ってたらすまん。だが似てはいないだろうか。あの、こしあんの中に潜む塩味と。
 
 この二つは決して同じものではないが、共通点はある気がする。ギャップである。真面目だったのが、少しだらしなかったり。厳しかったのが、ふと優しかったり。甘かったのに、少ししょっぱかったり。人はギャップに弱いのかもしれない。ギャップを感じると、人はそこに深みを感じる。真面目だけじゃないんだ。厳しいだけじゃないんだ。そして、甘いだけじゃないんだ、と。
 単純に数直線で考えてみればわかりやすい。甘いを+、しょっぱいを-で考えてみれば、+一辺倒だったはずの味に突如-が登場すればその分幅がありそう…な気がしてこないだろうか。自分で書きながらすごく微妙なたとえだっと思い始めているが、まあイメージの問題なので気にしないでよかろう。何となくで感じ取っていただきたい。僕の想いを。

 とりあえず、物事に深みを与えるのは案外「逆サイドのこと」だったりするのかもしれない。その深みはその人やそのモノ、情報、そしてあんパンをより魅力的にする。万事万物森羅万象、一辺倒よりもいろんな方向性に手を伸ばしてみるのも悪くはなかろう。そこに「差」があることに人は驚き、心惹かれるのだから。




すごく綺麗に終われた気がするが、どうせ誰に読ませるものでもないのでもう少し続けようと思う。最後に「差」の話を出したが、この「差」というのは不思議なものである。人と違うものを持っている。人と違うことを知っている。人と違うことができる。人々はその「差」に価値を見出し、金を出し、追い求めようとする。
 違うこと。変わっていること。「差」はざっとそんな意味であろう。もちろん、縦軸で考えてみれば「差」はすなわち上下の差になり、上下関係、マウント的な意味で差を追求することは上を目指すことと同義であり、あまり不思議はない。ただ人によっては上方向という意味ではない差を好むものもいるだろう。
 おれ邦ロック知らないんだよね~僕最近流行ってるやつ全然知らないんだよね~、とイキる者。彼らは別にマウントを取っているわけでもなく、周りと違うことに価値を感じ、カッコよさを覚えている。書いているうちになぜか胸が苦しくなった気がするが気のせいであろう。うむ。

 なにはともあれ、人は「差」に弱い。弱いというより、そこに対し敏感で、それを気にしながら生きている。思うに人は「差」によって物事を判断し認識しているのだ。比べる、といった方がいいのかもしれない。ことあるごとに人は差を気にし、何かと比較し、判断をしている。
 人の判断まで言及し始めると際限がなくなって、さすがに収拾がつかないのでほどほどにしておこうと思う。

 だが、「差」と人間についてはまだまだ思うところがあるのでまた考えが浮かんだら書きたいなと思いメモしておく。あと言葉の話も書きたいな。

この文章に結論はない。ただ僕が考え、頭に浮かんできたことをつらつら書いているだけである。だから矛盾があっても、おかしなことがあっても気にしないこととする。だから将来の自分、もし読み返してたらそのへん勘弁してください。

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