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水道もガスも電気もない生活でのフェミニズムとは


#国際女性デーによせて

ヨーロッパでは女は台所、料理してろなどというと時代遅れだと笑われる、
フランス語で”マッチョ”とは男性主義のことである。

しかし
めちゃくちゃたくましい肉体労働派のエコロジー生活実践者とこんな経験をした。
お湯はシャワーだけ、電気やガスをつかった暖房器具がなくあるのは木の蒔ストーブだけ、トイレも雨水やシャワーに使った水を汲みなおして使う。
基本台所のガス台は使わず、蒔ストーブの上で料理をする。
テフロンのフライパンは使わない、重い鉄製フライパン。
自動車もない。
電気節約のため蒔ストーブの掃除のためだけに使われる掃除機。

ヨーロッパの昔の暮らしに似ている。
もしくは超エコロジーに徹した原始的な節制生活といえるかもしれない。

都会でこういう暮らしをしてみたくても、蒔ストーブのための薪木が拾える環境ではない。
捨てられている木製パレット(物流に用いる、荷物を載せるための荷役台)を拾ってきて、解体して良い部分は日曜大工に、わるい部分は蒔ストーブにという風にしていたが、
こんな生活では、小柄な、筋肉のか弱い女性に主にできることは野菜を収穫し、洗濯物を干し、料理なら任せて!という大昔のライフスタイルである。

女は台所、料理というのを抜け出せたのは電気、ガス、水道、インターネット、家庭用電化製品のおかげかもしれない、というのをまさしく実感した出来事だった。

現在ヨーロッパは電気、ガス、ガソリンが2−3倍の値段になっている。
ロシアなどに依存しすぎて、自国での発電量やエネルギー開発が遅れていたのではないかなど議論されているが、ちょうど電気、ガス、ガソリンなどのエネルギー分野で本当のサステナブルな社会を築けているのかどうか見つめ直す良い時期だとは思う。

本当に各家庭から電気、ガス、ガソリンが消えたらどうなるだろうか。
フェミニズムはどうなる?

サステナブルな社会+フェミニズムはまだまだ深いところで議論されていないような気がする。

そもそも現代の都会的な男性人も水道もガスも電気もない生活で、筋肉ムキムキな肉体派男性に簡単に変われるわけでもない、適応は簡単ではない。

こうした今年のヨーロッパのエネルギー危機、コロナ騒動での世界的な原料の高騰を見ていると、サステナブル(sustainable)「持続可能な」はガス、電気、石油などの生活で必需なレベルで、すでに人類はどこまで理想的な状態を築けていけるのか疑問だ。

また。フェミニズムとは今の時代にマッチした言葉なのか。
今は性指向性、性自認というものも認識され話題になりつつある。
性指向性、性自認が一般的なものと違うという人が私のヨーロッパでの知り合いではたくさんいる。
ドイツでは第3の性を承認している。
私は男と自認しているのでフェミニズムは女性のためのものだ、
私は女と自認しているので”マッチョ”は反対だ、
といった考えでは「狭い気」がする。

各々の個性、体格、やりたいこと、適正をお互いに補い合わせ、補完的に生きる、困った時は助け合うが人類の目指すべき道だとは思う。

原料においても、エネルギーにおいても、地理的に金が多いところ、石油が多く取れる国、ガスが多く生産とれる地域は決まってしまう。
他国を脅迫、強制、コントロールしたい、制裁したい、そういう人間の欲望は”マッチョ”とも繋がっていて、それに反抗してフェミニズム運動が生まれたような部分もあると思う。

適正をお互いに補い合わせ、補完的に生きる、困った時は助け合う、
はフェミニズムもマッチョもエネルギー問題解決すると思われる。
そう思いたい。







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