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存在しない日記 2021.3.5

これは架空の人物による、架空の出来事の日記である。空想の日記。妄想とも言う。つまりこれは存在しない日記。

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2021年3月5日

3月は決算の月だ。決算といっても父の代からの取引がある数社の売り上げが大半で、あとは細かい新規の取引を積み上げるだけだから、毎年大きな変化のあるものではない。昨年一時期はひやひやしたものの、結果売り上げは変わらなかった。売り上げの中身が変わっただけど。

例年通り決算の報告を金王八幡宮にお詣りに行った。父から会社の経営を継いで今年で10年、決算月にお詣りをするのはずっと続けている習慣だ。

自宅から会社までは徒歩で20分程度の距離だが、その間に3つの神社の前を通る。その度に「八百万の神」という言葉を思い出す。日本の神様はそこいら中にいらっしゃるということだそうだ。

お詣りを済ませてお札(ふだ)を頂く。仕事柄、お札も「仕様」を考えてしまう。使っている用紙、加工方法、印刷の色数…。生産数が分からないから曖昧ではあるが、なんとなく原価を想像していつも楽しんでいる。おそらく神社ごとに作っているわけでもなく、一括生産している業者がいるのだろう。こんなことを考えるのは少しバチあたりなのだろうか。

一括生産しているとしたら、八百万の神と言いながら、実際にはどこでお詣りをしても同じお札を頂いているということなのだろうか?それともお札はお土産のようなもので、体験がやはり重要なのか。

八百万の神とは、想像するに岩、山、木、川などあらゆるものに神性を見出した古代日本人の宗教観を示したものではないだろうか。会社の庭にある古い欅にも神はいるのだろうか?冴えない小さな印刷会社が今日まで続いているのはそのおかげなのだろうか。

工場には未だに父の代から処分できずにずっと置きっぱなしにしている写植機がある。そこに神はいるのだろうか?時経た道具が妖怪になるという漫画を読んだことがある。ならば写植機が印刷会社の神になるというのも、あながちない話でもないのではないだろうか?

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