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いま、ここ、に"一緒にいる"

尊敬する保育園の先生に1年ぶりにお会いして、1年分のいろんな話をしてきました。

その先生が経営する園はアート教育に力を注いでいて(他にも色々あるけどね)、保育園の中にギャラリーをつくったり、アーティストのスタジオがあったり、壁にライブペインティングを施したりと、まさにアートが日常にいつもある施設です。

日常にアートが存在する保育園

もちろんそれらは全て片手間ではありません。アーティストはアートの第一線で活動を続ける方ですしギャラリーというのもかなり本格的。保育室に作品を並べるのとはわけが違います。イタリアのレッジョ・エミリア州の幼児教育が有名ですが、その感じに近いところもあるかもしれない。

子どもたちの作品も見せてもらうと、特筆すべきはその個性豊かな表現です。同じ年齢の子どもたちが同じ条件で表現活動を行うと、ときにおんなじ作品が生まれたりもするのですが、ここの作品は言葉通りの十人十色です。時間をかけてそれぞれの子どもたちが満足いくまで向き合った結果だと言います。

誰かを傷つけてしまったら

また、園での出来事も色々と聞きました。素晴らしい園だと言ってもまだまだ無知な子どものことですから、ときに思いがけず誰かを傷つけるような発言をする子もいます。言葉は強い。もちろん悪気などありません。どこかで覚えた言葉なのでしょうね。ポロっと出ると言われた相手はひどく傷つくわけです。

深く感銘したのが、この後の先生の対応のお話でした。これはもちろん年齢や状況に応じて変わるものだと思います。
この時はその言葉を言ってしまった園児に対して、「そんな言葉言ってはダメ!」ということは言わなかったそうです。また「どうしてあんなこと言ったの?」と問いただすこともしなかったとか。「どうして?」と問うても傷つける意図すらなく使っているのですから、質問はその子を追い詰めるだけです。

ただ一緒に過ごすだけ

先生はその園児を呼んで2時間も3時間もとにかく一緒に過ごすということをしたそうです。他愛もない話と、「うんうん」とか「ねー」とか言うだけで。遊具で一緒にあそんだりしながら。

そうしているうちにポロポロと園児の方から本音が出てきたと言います。そうなれば後はその気持ちを、今度はその言葉を言われた方の園児に伝えてこの件は終了です。最後まで「言っちゃダメ」とか「二度と使わないでね」とは言わなかったそうです。子どもは自分で気づく力があるのですから、言わなくてもわかっているとおっしゃっていました。

自ら気付き、自らを癒す能力が人には備わっている

このことは、「隣にただいるだけ」ということの重要性を物語っていると思いました。何を聞かれるでもなく、説得をされるでもない、ただ隣に安心できる大人がいるだけで心の癒しは起こっているのだろうと思います。

実は同じことが冒頭でお伝えしているアートが日常にあるということにも言えると思います。アーティストのスタジオが保育園の中にあり、そこにはアーティストが毎日ではないもののよく滞在し制作をしている。つまりここでもアーティストは「ただ、いる」だけとも言えるのですが、そのことから子どもたちは計り知れない影響を受けていることだろうと思います。

あえて言葉にするのならば、「こうしなければならない」という思考から解放され、「こんなこともしていいんだ!」という思考へと導かれるようなことが起きているだろうと思うのです。

家庭でここまでのことはなかなか真似できるものではありません。ですが、時には大人が自ら何かを作ったり描いたり、あるいは歌ったり踊ったり、ということをやってみるのも良いだろうと思います。あくまでも「子どものために」ではなく「自分のために」。

いま、ここ、に一緒に過ごすことの大切さをしみじみと感じる1日でした。

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