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全部残さずいただきます!

最近話題のキロンという天体。西洋占星術でいうと僕はキロンを8ハウスに持っているということになり、超短絡的に言えば「もらう」という行為が開運の鍵ということになるらしい。※かなり雑な解釈。

思い返せば確かにもらうのは苦手。そもそも人から何かを頂くという機会はとても少ないですし、労働に対する対価ですらつい安く見積もってしまいがち。もらうのが苦手なので誕生日なんて、軽いコンフレックスめいた感情も沸き起こる。これは期待の裏返しでもあるのでしょうね。

素直にもらっとけば良いものを、思ってもいないくせに妙な遠慮をするものだから、機会を失うなんてことも多々あるし、そんな奴の元へは話もこなくなってくる。わかりやすい引きこもりループです。

ところが最近なんだか妙なくらいに頂き物をする。以前の僕からしてみればバブル到来くらいのもらい方。

くまちゃんの湯たんぽが買えなかったと呟けばもらえるレベル。カワハギ食べたいと言えば届く。新しいコーヒーを開封したら挽いてない豆だった!と嘆けばコーヒーミルもらえる。あげればキリがないんですけど、お花(すごいやつ)、ワイン、コーヒー、本、塩、塩水、お料理…。ほんとに沢山のものを頂いています。ちなみに頂きもののダントツ一位は塩。みんなどうした?

皆さまどうもありがとうございます。

僕のもらい下手には母の影響もおそらくあって、母もやはりもらい下手で、裕福ではなかったこともあり、「お返しできないから頂けない」と言っては色々とお断りをする人でした。

同じように僕も頂き物をすればいつか何かお返しをしたいなとは思います。ほとんどできていないけど。でも自分が誰かに何かを贈ることを思い返すと、見返りは求めていません。リアクションを楽しみたいくらいの想いはありますが、金品を求めるものではない。

おそらくお返しというやつは交換ではなく循環に近いのでしょうね。そんなことを論じる本もあったように思います。(すみません失念)

考えてみれば、頂き物をする機会が少ないなどと書きましたが、僕たちの身体は日々「命」を頂くことによって成立しています。それが食料です。食事とはまさに頂くことです。都市部で暮らしているとその命を自分で採ることもありませんから、どこかの誰かが採ってきたものと貨幣を交換しているわけですから、二重に頂いていることになるわけです。

命を授かる

こんなことを考えるようになったのも、頂くということが少しはできるようになってきたからかもしれません。僕の場合のキロンの克服の鍵は「頂く(受け取る)」ということがSTEP1だとすると、次のSTEPは頂いたものを停滞させないことにあるのかもしれません。

そういえば転機は子どもができたあたりなのかも。僕が産んだわけではないけどね、念の為(なんのため?)。子どもができることを「命を授かる」なんて言います。これもひとつの頂きものです。ありがとう。帰ったらワシャワシャしてやる。


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