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遊びがある状態

機械や装置の機構部分の接合部などに設けられた隙間や緩みを「遊び」と呼びます。例えば、障子が鴨居の溝にピッタリすぎると動かなくなります。意図的に少し隙間をつけるわけですが、これが遊びです。

遊びがないと故障の原因にもつながりかねません。金属製の部品同士を遊びなく接合すると、季節や朝晩の寒暖差などで部品同士が伸縮しあい、破損につながることがあります。遊びは大切な機能なのだと言えます。

これらの「余白」をいつから「遊び」と呼ぶようになったのかはわかりません(今度調べます)が、とても大切な役割に対して「遊び」と名付けられていることは興味深い点だと思います。「遊んでないで勉強(掃除)しなさい!」というアニメの中の母親の代表的なセリフが物語るように、10〜15年くらい前までは遊びといえば無駄なものとして捉えられがちなのですから。ちびまる子ちゃんとか、のび太君とかいまだに遊んでて怒られている気がする(時代設定があるから?)。

人生に遊びを

賢人たちはよくこう言います。「何かを手に入れたければ、何かを手放しなさい」と。これはまさしく手放すことで、「人生の中に遊びを作りなさい」と言っているかのようでもあります。大切なのは手放すことではなく、何かが入ってくる隙間があるということなのだろうと思います。

最近はあまり耳にしませんが、一昔前の建築家にはジンクスのようなものがありました。今は全てデジタルデータで行われる設計業務ですが、一昔前は大量の紙(図面)を扱う仕事でした。建築家の机といえば、図面の山、模型の数々などが所狭しと積み上がっているのがイメージです。机が図面の山で狭くなると、机を大きくすれば良いと思うのです。決して片付けようとは思わないんですよ(笑)。ジンクスはここから。だけどいざ机を大きくしてみると、結果的に仕事が増えてしまって机は狭いままである。というのがこの話のオチです。これが転じて若手の建築家が仕事を欲しいときには大きな机を買いなさいなどと言われることがあります。

この建築家の話は、「人生に遊びを作る」という前述の手放し理論と言っていることは同じだと思います。だから僕はこうも思います。「何かを手に入れたければ、何かを手放しなさい。もしくはそれが入るだけの遊びを作りなさい」と。

僕は本が好きです。買うのが好き。本は捨てられません。今は読み終わったばかりだとしても、数年後に引用したくなる瞬間があるのが本です。本は手元にあるからこそ意味があるのだと思っています。だから本は手放せない。ならば、本棚を拡張すればいいと思っています。(そうやって自分に言い訳しています…。)

子どもは隙間だらけ

子どもたちを見てると、当たり前のことですが、子どもは「手放す」なんてことはあまりしません。分けるとか誰かにあげるということはしますが、手放すのはなかなか難しい。手放すほど何も持っていないのですから当たり前です。ですが子どもたちはどんどん新しいものを手に入れ吸収していきます。その最たるものが「知」です。世界を知ることに対して貪欲です。

遊びを持つ方法

大人が子どものように振る舞うことは難しいです。故に「手放す」という方法があるのかも知れません。でも、心に遊び(余裕)を持つことって案外簡単なことなのかも知れません。深呼吸をたくさんする(呼吸を深くする) / 感情に素直になる / 環境を変える / イメチェンをしてみる / 無駄なことをしてみる(遊ぶ) / 散歩をする / 移動手段を変える / 大声を出す / など

これらはきっと子どもたちが日常的にやっていることばかり。でも大人はなかなかできないことばかりでもあります。ならば意識的にやってみようというわけです。呼吸がなんで?と思うかも知れませんが、空気を深く入れることはプリミティブな受け入れることでもあります。大声を出すことは自分のうちにあるものを吐き出すこと(空っぽにすること)と等しいと思います。その他のものもそういうこと。こんなふうに分解して考えると、遊びを持つことはなんかできそうな気がしてきます。

そんな僕も全くできていないのだろうと思います。だからひとまず散歩に出かけようかな。それとも遊びに行こうか。なんだか楽しそうなことは間違いないです。

毎朝10分の深呼吸を日課にしてみようかな。


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