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教育者と親は違っていい

マリア・モンテッソーリ

マリア・モンテッソーリという教育者がかつていました。幼稚園の原型となる施設を開設したり、現代でいう積木になる玩具(教具と呼ぶ)を考案したり、現在でも非常に影響力のある女性です。教育法が特に有名で程度の差はあれど、モンテッソーリの影響を受けている幼稚園はたくさん存在しています。

『モンテッソーリ 子どもの家』と言う映画が公開中です。フランスのドキュメンタリー映画で、モンテッソーリ学校に密着をして園内の様子や、その中で教師がどのように振る舞っているのか、と言うことを記録したとても素晴らしい映画です。

モンテッソーリの言葉は子どもに対するものでありながら、大人が自分の行動を省みるために耳を傾けても、とても価値のある言葉だと思います。現在子どもに関わっていない人が観ても共感する部分の多い映画ではないかと思います。

教育者の言葉

さて、モンテッソーリに限らず、優れた教育者、教育メソッドと言うのは世界中にたくさん存在しています。シュタイナー教育、レッジョ・エミリア・アプローチ、イエナプランなどは有名なところです。それぞれ特徴は様々ありますが、教育のみならず、子どもたちの生活にも言及しているものが少なくありません。子どもたちが過ごす園というのは第二の家と呼んでも過言ではないわけですから、当然といえば当然です。未就学児の場合には教育以前に生きることを学習する時期ともいえます。

いずれも話を聞いたり、実際に目の当たりにして「すごい!家でも実践してみよう!」と思うんですけど、これがまーーーったくできない!例えば、子どもが朝着替えているとします。自分で着替えているとすると、モンテッソーリはきっとこう言います。
「じっと観察することです。子どもは手助けを求めていません。自分で解決できるのです」
とかね。言いそう。素晴らしい観点ですし、その通りだと思います。ですが現実の僕は時計をチラチラみながら、手を出してしまうわけです。ポンとパジャマを脱がせて10分かかる着替えを5分で済ませたり…。

これは極端な例ですが、教育の現場で行われている通りにはなかなかできないのが家庭なのではないかと思います。

優れた教育者は言います。「ガラスが割れるということを知らないと道具を優しく扱うことはできない。だからガラスのコップを子どもも使うのです」と。
現実の親は言います。「そんな暇ないから割れないコップを使おう」と。

家庭は家庭

家庭には家庭の事情も都合もあります。幼児教育に関する書籍など多数出ていますが、家庭というのはゆるくて手抜きをしても良いのだろうと思います。

子どもも家庭と園とでは行動に違いが出る部分があると思っています。親には甘えたい部分もあるでしょうし、自分でできることも家だったらやってもらいたい、なんてこともあるでしょう。自分だけの空間だということもあるでしょうし。

だから教育者の理念や理想を参考にしつつ、生活面に関しては手を抜いてやっていこうと思います。自分の都合も優先しないとね。


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