タロットを引いて思うこと
タロットはじめました
と言っても、別に鑑定を始めたわけではありません。知識もゼロです。だから、見様見真似でタロットを引いては、絵柄をみて意味を自分勝手に解釈して遊んでいるだけです。こんな感じ。
実は何年も前から某星の方からやったら良いということは言われ続けていました。でも自分が表に出ることを受け入れればまぁ良いのだろうと思って放っていました。表に出る機会は増えてきたし。ところが表に出る機会が増えてもやっぱりずっと「タロット〜タロット〜」と言うではありませんか。
そしたら、数日前になんか腑に落ちたんですけど、そもそもきちんとやる必要がどうやらなかったようです。つまり「遊び」でよかったみたい。
遊びでよかった
先にも書きましたが、僕はタロットの知識はゼロです。受けたこともありません。だからタロットを持ちいて何かをしようと思うととっても大変です。一枚一枚のカードの意味を勉強して、引き方を覚えて、精神を統一させて…。と。
でもきちんとしなくて良いというスタンスに立つとこんなに簡単なことはありません。適当に(一応手順は調べましたが)引いた一枚の意味を絵柄から解釈すればいいだけのことでした。
これで気がついたのですが、きちんとしようと思わなければ、結構なんでもできるのかもしれません。これを「遊び」というのでしょう。「遊び」の範疇でやるのならばストレスなくなんでもできます(言い過ぎ)。何事でも良いのですが人前でやること、他者に提供することにストレスやプレッシャーを感じるのは、きちんとしていないといけないという先入観からでした。プロの家具屋さんと日曜大工の家具作りの違いのようなものです。日曜大工ならばそこまで周囲を気にする必要もありません。
見立てと解釈
タロットで肝心なのは「解釈」なのではないかと考えています。そのカードがどんな意味を持つのかを解釈するわけです。これは遊びでならば「見立て」の応用でできます。見立てることは遊びを構成する大きな要素の一つです。紙屑をお料理に見立てたり、ブランコを電車に見立てたり。上げればキリがありません。タロットカードの奇妙な絵柄を「見立て」て「解釈」することはなかなか楽しい遊びだと思うのと同時に、この一連の行為自体も遊びですから、気軽にできるわけです。遊ぶのに緊張する人はあまりいないだろうと思います。
だから緊張しそうな場面では遊びだという意識を持つとちょうど良いかもしれません。たくさん練習やシミュレーションをして、その上で遊ぶ。すると良いパフォーマンスが生まれるかもしれない。
やっぱり遊ぶのは良いですね。
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