怪物の種を宿す、人という生きもの
人は自分の視ている世界がホンモノだと信じている
けれどもひとつの事象に対して
視る人によっていくつもの解釈が現れる
事象そのものはひとつでしかないが
そこに”人”のフィルターがかかり
千にも万にも解釈が変わってゆき
語る人によってまるで別の事象となって存在し始める
親は子どもに愛情をそそぐが
時にそれが呪いのように子どもを縛ることにもなる
子どもは親を無条件に信頼しようとするが
どこかでそうなりきれない自分に後ろめたさを感じる
古いままの”正しさ”で守られようとしている社会の規範
個性を伸ばさないことを良しとするような教育
そこに疑問を持たない、あるいは持たないように諦めている
”教育者”と”管理者”
はみ出すことに苦しさを覚える子どもと
考えないことを植えつけられる子ども
そうやって作り出され、世に送り出される大人たち
ノーマルとされるセクシャリティと
そうではないとされるセクシャリティ
その基準は誰がいつ、正しいと決めたのだろう?
無邪気なはずの子どものいたずらは
毒の鏃となって放たれ
守るはずの大人の保護の手は
誰をも救えず
誰にも届かず
虚空に伸ばされる
嘘はまことになり
真とは一体誰のどんな言葉なのか行動なのか
もはや誰にもわからない
怪物だ~れだ?
ほら、そこにいるアナタだ
そう、ここにいるワタシだ
生きるがいい
嵐のあとの光の中へ
手をたずさえて
確かなものを見つけに行くがいい
『怪物』
自分が
この映画の中に出てくる、どんな人物となり得るのか?
最後までその”問い”が私の頭の中をぐるぐるしていた
坂本龍一氏の『Aqua』 の透明感のある静かなピアノの旋律が
観おわった後の脳内に蘇り、水のように沁み込み
光のように心を包む
私たちは誰もが
心の中にきっと”怪物”の種を宿している
さまざまな物事に対して
不寛容さが高まる現代社会で
その”怪物”はほんのちょっとのきっかけで
「目覚める」時を待っているかもしれない
けれども
自分自身に”嘘”をつかずに生きることで
心に生じたひび割れを繋ぎ合わせることはできるだろう
でこぼこしたままでもいい
そのままの自分でもいいと
自分に寛容になるのに、罪悪感をもたなくてもいい
自分にだけは嘘をつかずに生きる
案外それは難しいことかもしれない
それでもやってみるといい
ことあるごとに
少しずつ
自分に問いかけながら日々を生きる
「それでいいの?」と。
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