それよりもこの愛を君に見せたい


THE YELLOW MONKEYのパンチドランカーツアーを追ったドキュメンタリフィルム「パンドラ」が公開されて、そのDVDが発売されるときに公式アカウントが「毎日1本、47都道府県のどこかの映像をUPする」という企画をやっていて、それについて毎日ブログを更新していた…時の2013年11月の日記(説明が長い)。読んで頂ければおわかりのとおり、私にとってこのツアーがどれだけ心の根っこにあるのかというのを思い知らされた、最高に楽しい47日間でした。

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結局、こういうのが好きなんだなーと思う。

まあ正直自分でもテンション持て余してます。なにこのにわかの情熱迷子。なにがって、イエローモンキーのパンチドランカーツアードキュメンタリ映画「パンドラ」のDVD発売企画で12月4日まで毎日全国47都道府県のライブ映像をyoutubeで公開するっていうあれです。説明長い。

そういうネタなら向こうのblogの方で書けば?って感じですかなんか折角なのであっちはもう12月4日まであのネタだけでいきたい。し、あっちなようなこっちなような、セクシーなようなキュートなような。どっちでもいい。

映画で火がついたのかっていうとそれも微妙に違うというか、映画は何というかほんとにある意味確認作業だったなというところが自分の中にはあります。でもあの中で見せられたいくつかのライブ映像が及ぼした影響は大きいかもしれない。やっぱりかっこいいな、というだけではないことに改めて気がついたというか。で、つらつら思うに、結局こういうのが好きなんだな、わたしは、というところに帰着したというのか。

これもう何度も書いていることなので「それ もう 聴いた」みたいな感じはおありになると思いますけど話の流れなので重ねて言葉を割くと、私が最初にTHE YELOOW MONKEYのライブを見たのは1997年5月、その次が9月。そしてその間に坂を転げ落ちるようにこのバンドの「蟻地獄」にずっぱまっていった。なのに、私はその時ファンクラブに入るという選択をしなかったんです。その前に入れあげていたバンドでもそうだった。ファンクラブに入る、ということを良しとしない、そしてそういうことを良しとしないことをカッコイイと勘違いする、当時この言葉があれば私は真っ先にこう言われていたんじゃないか。「おまえ、こじらせてんな」。

弁解するのならこれは多分に第三舞台の影響もあると思う。鴻上さんというか第三舞台は、あれだけチケットが毎回激戦になるにも関わらず「先行」とか「優先」というような囲い込みを一切しなかった。そしてそういう彼らのスタイルは私にはしびれるほどにかっこいいものに映っていた。もっといえば、パンチドランカーのツアーが発表になってどこに行く、何本行くと話し合うネットの仲間たちを尻目に、わたしは「1本いければいいや」とクソ舐めたことを、もう今思っても自分をぶっ飛ばしたい衝動に駆られるが、そんなことを平気でのたまう女だった。そしてこれもおそらくは、何回も繰り返し舞台を見に来る客を「悲しい」と評した鴻上さんの影響によるところが大きいんだと思う。

誤解のないようにつけ加えれば、その鴻上イズムは今でも私のなかに厳然としてあります。繰り返し見ることを前提にステージを見ることをしないとか、オペラグラスを使わないとか、そういう姿勢みたいなものはやっぱり今でも抜きがたくある。

でも、そういう私の地の足のついていない思い上がりを、完璧に粉砕したのがパンチドランカーのツアーだったわけです。理屈は今でもわかる、どんなステージも一期一会だし対象にすべてを預けてしまうようなのめり込み方は美しいものではない。そうだと思う。けれど、その理屈を飲み込んでしまう感情が、情熱が、建前なんて知ったことかというような圧倒的な何かが、あの時の私を打ちのめした。パンチドランカー。文字通り。

あのツアーと3.10を巡る「ややこしい」としか言えないファンの葛藤、いや映画が公開された今となってはアーティストの葛藤も含めて整理して文章にするなんてのは至難の業なのですっとばすが、ともかくそういったややこしい葛藤のせいで、いやおかげで?パンチドランカーのツアーというのはどこかその名の通りパンドラの匣に押し込められたようなところがあった。それが今回の映画でその扉が開かれたというわけだ。

私をとらえたのはこの頃の彼らではない。圧倒的に輝いていて、自分たちの前には希望という海が広がっているとどこかで信じている彼らを見て、私はあのバンドを好きになった。けれど、本当の意味で私を打ちのめしたのはこのツアーの彼らだったんだ。そのことを毎日毎日更新される2分弱の短い映像に思い知らされている。彼らはすでに負けを知っている。いつか、が来ることを知っている。自分たちが全知全能ではないことを知っている。そして私は結局のところ、そうやって終わりがくることを予見しながら立っているものが好きなんだろう。

好きなバンドや劇団にことごとく解散されてきた、なんて冗談めかして言ったこともあるけど、そうじゃないね。そういう匂いのするものに私は惹かれているんだね、きっと。それが業と言えば業なのだし、習性といえば習性なんだろう。さすがにここまで来たら、それを自覚しないわけにはいかない。

パンドラの匣に最後に残ったものは希望だと言われるが、それは言い換えれば妄執でもあるんじゃないかと思う。今までやったことのない「blogの毎日更新」なんてものを始め、セットリストの一覧表を作り、地図に色を塗る。この毎日更新される2分弱の映像に自分がこんなに振り回されているのは私の妄執がまだあの匣の中に残っているからだ。そしてほんのひとときだけ、15年前のツアーのように、今日のセットリストや明日の衣装にさざめいていた自分を追体験しているのだ。それほどまでか、と自分でもおもう。それほどまで、あそこに心を置いてきてしまったのか、と。

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