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コロナで変わってしまった

 コロナコロナで大変だった2020年の春夏に比べれば、最近はだいぶ以前の日常が戻ってきたと言える。でもなんだろう、やっぱり全ては元どおりにならないのだろうなと感じることがある。それは、今まで見て見ぬ振りをしていた問題がとうとう爆発してしまったとでもいうのだろうか。いや、誰かが我慢することで成り立っていたことが、崩れてしまったとでもいうのだろうか。とにかく、コロナという病気が広がったことをきっかけに、無理やりはめていたパズルが崩れてしまったような気がする。私が、何不自由なく、当たり前のように享受していた日常は、誰かの我慢だったり、無理だったりの上に成り立っていたんだなと思うことが増えた。

 なんて書いておきながら、私が悩んでいることは、毎日ニュースで報道されている事件や問題に比べたらとても小さくて、とても私的だ。
 先日、三歳になった次男がプリスクールへ通い始めた。この州での十月生まれは、日本で言う五月生まれにあたるので、順当にいけば彼のプリスクール入学は来年の九月なのだが、兄がいるせいか少し発達が早いのもあって、一年前倒しで入学させた。七月生まれの兄(この場合は日本で言う二月生まれと同じ)も、三才一ヶ月で入学しているのでそう大差は無い。このままいくと、次男は一年早くキンダーが始まってしまうので、二年弱プリスクールに行った後は、ヤングファイブという校区がやっている早生まれを対象にしたプログラムに入れようと今のところは考えている。
 それはさておき、次男だ。トイトレも長男よりは遅かったとは言え、二歳半で完了し、言葉は長男が三才の頃よりはずっとしっかりしているので何も問題はないだろうと送り出した。行くのは、長男と同じ日系幼稚園だ。私たちも、幼稚園のシステム、環境、行事についても、よく理解している。長男の時にとてもお世話になったし、感謝している。そして、長男は幼稚園が大好きだった。よし、大丈夫だ。さー行ってこい、と送り出したものの、コロナを経たことで大きく変わったことがあった。お世話になった先生が大量に辞めてしまっていたのだ。

 先生の入れ替わりがあったことは聞いていた。先生が辞めてしまうわけもよくわかった。先生を責める気持ちは全くない。でもやはり、長く働いていた先生たちが辞めてしまった後の幼稚園は、以前を知っている身としては、残念としか言えない。また、次男の入園で初めて知ったのだが、たまたま長男を受け持っていた先生が素晴らしくまめまめしく、気遣い上手な方だったのだ。あの細やかなケアは、受け持ってもらった先生が素晴らしかったのだと身をもって知った。まだ通い始めて、数週間。けれども、ああ、前はこうだったのに。あの先生はこうしてくれたのに。そう思うことが多くあり、次男に申し訳なく思ってしまうほどだ。

 もしもコロナがなくても、入れ替わりが激しいこの業界で、ずっと同じ先生がいてくれた確約はないだろう。でも、コロナがなければ、まだもう数年持ったのではないかとも思う。大都会ではないここで、一校でも日系幼稚園があるだけマシなのだ、と言い聞かせて今は様子を見つつ、来年度はどうしようかと悩んでいる。次男の日本語を犠牲にして、一年前倒しで現地のプリスクールに入れるか。または日本人の保母さんが開いている自宅保育園の門を叩いてみるか。または、これも社会勉強として、今の幼稚園に継続して通わせるか。幼稚園に何を求めるか、今、もう一度考え直す必要がある。

 しかし、一年間、五歳と二歳を家で見ていた身としては、子供がいない家は家事が捗ることに驚く。こんなにも違うものか。寂しいと思うよりも、やらなくてはいけないタスクが次々と片付けられることが今は快感だ。薄情な母親でごめんね、息子たち。

 

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