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楽しいばかりではない。苦しいばかりでもない。

 ここ最近、息子の習い事について書こうと何度も挑戦したが、なかなか筆が進まない。多分、自分でも迷いがあるからなんじゃないかな、と思っている。いや、それとも言いたいことが多すぎるのだろうか。

 長男はピアノを四歳から習っている。もうかれこれ一年半くらいになろうか。コロナでオンラインレッスンになったりと面倒なこともあったが、とりあえず続いている。でも、ここまで続けるだけでもかなり大変だった。ああ、継続するってとても辛くて、でもだからこそ意味があることなんだなと感じるばかりだった。

 一年半での息子の成長は目を見張るものがある。それは、週に6日、学校に行く前と帰ってきた後に、きちんと練習をこなすことで積み重ねてきた結果だ。たまに、お友達やお母さんたちの前で弾くと「すごい! 上手だね!」と言われるが、それは単純に息子が毎日練習を続けたからであって、音楽の才能があるからではない。「なんでこんなに練習するの」「どうしてできないの」「難しいのはもう嫌だ」と泣いて、喚いて、それでも練習を続けて得たものだ。私は、そんな息子をすごいと思っているし、誇らしくも思っている。
 と、同時に、練習練習と息子を追い立てる鬼母は、本当にこれでいいのかと迷ってもいる。でも、嫌だやりたくないと言いつつ練習し、できなかったことができるようになるという経験は、学校でも、大人になっても役立つと思う。苦しいし、やりたくないことなんてたくさんあるけれど、でもやらなくちゃいけない状況はこれからたくさん出てくる。好きなことをさせてあげれば、得意なことを伸ばしてあげればいいという考えもあるだろう。でも、現実問題、社会にはやりたくないことに取り組まなければならないことだって多々ある。そんな時、「毎日やりたくなくてもやらなくちゃいけないこと」をコツコツと遂行し、一つ一つ目標を達成していく経験というのは、これから意味を持っていくと私は考えていて、毎日毎日「やりたいことは、やらなくちゃいけないことが終わったらね」と言っている。終わったら、好きなことをどれだけやってもいいのだから。だから、さっさとやってしまいなさい。と。いつか、その経験が実を結ぶと信じて。

 もうすぐ初めての発表会がある。息子は人前でまだピアノを弾いたことがない。私に似てあがり症だし、一度頭の中が真っ白になると焦って、さらにパニックになってしまう。自分がそうだから、その姿がありありと想像できてしまって、息子以上に私が緊張しそうだ。それでも、人前でピアノを弾いて、誰かに聞いてもらうことで、自分が積み重ねた練習が報われる経験をして欲しい。あの苦しい練習は意味があったものだと実感して欲しい。

 継続は楽しいばかりではない。でも苦しいばかりでもない。いつか、自分が乗り越えてきたものが自信となり、息子の支えになってくれたらな、と私は願わずにはいられない。

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